香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

怯えたねずみ



今日は、

旧正月の一時帰国申請をめぐり、いろいろ出てきた。


今年の香港の春節休みは2月8日から10日までだが、

僕としては、いろいろと計画もあり、

できれば、1月25日から休みを取りたい。

一時帰国で取得できる特別休暇が7日間なので、

休暇の開始日は1月28日からとなる。

結果、3日間の追加休暇申請が必要となるのだ。


稟議を書く段になって、

様々な思考が自動反応的に出てくる。


「2週間以上もの休みなど、許可されるはずがない。」

「KKBは絶対なんか言ってくるに違いない。」

「帰国中に何か業務上の問題が発生したら?」

「他の人たちに何て言われるだろう。」

「いっそのこと、父に病気になってもらおうか。」


まだ、誰からも、何も言われていないのに、

ひとつの行動を起こそうとすると、それに付随して、

〝きっとこうに違いない。だからこうしておこう。〟

という勝手な意味づけと判断が、自動的にやってくる。


「別に、だめならだめで、それでいいじゃん。」

「結果がどうであれ、兄貴に明け渡すだけじゃん。」


頭では分かっている。心も納得している。

だが、まだ起こってもいない事柄に対して、

もし攻撃されたら、という思いとともに、

恐怖と防衛が、セットで出てくる。


これらの意味づけと感じ方を

〝決断の主体〟がある場所へと引き取り、

そこから、兄貴に明け渡してゆく。


コツとしては、

これらの恐怖や防衛を、自分の感じ方で見ないこと。

冷徹なまでのクールな眼差しでこの〝感じ〟を観察し、

決断の主体の位置から、何の感情もなしに明け渡す。

明け渡す対象に、何ら解釈を加えず、ただ渡すのだ。


要するにどういうことかと言うと、

明け渡すのは赦しをやっている肉体の自分ではなく、

〝決断の主体〟が明け渡すということ。

決断の主体自体がやる、というのは非常に重要で、

これまでの〝自分〟が兄貴に大放出、というのとは、

大幅に赦しの質が違ってくる。


これらの恐怖と防衛は、

自動的に出てくる、という点がミソで、

自分で抑制しようとしても不可能なのだ。

いくら、神の子の自覚と共に、凛としていたとしても、

シナリオに従って、出てくるものは出てくるのだ。

だから、なにも考える必要はない。

むしろ、出てきてくれるからこそ削除依頼できる。


それから、僕の場合、

みぞおちの感覚にフォーカスして明け渡している。

ある意味、決断の主体が感じているものが、

肉体感覚として顕れているので、

〝こんなものを感じているのか。〟と、

肉体に感じる感覚を観察することによって、

余計な思考をくっつけずに、

決断の主体と一体となって手放してゆけるのだ。


結局、稟議書は出した。

まあ、こうして文字に起こせば、

えらく〝大層〟なことのように見えてしまうが、

時間にすれば5分くらいの出来事である。


明日は土曜日。2週間ジムに行ってない。

明日こそは行こう!