香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

欲望都市香港で奇跡を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

上海首席公館酒店(ザ マンションホテル)



香港に帰ってきたが、寒いっ。今日の気温は10度だ。

今週日曜日に香港でも雪が降るかもしれないと

日本気象台が発表したとかで、巷では、

ダウンジャケットを購入したり、

雪で外に出られない時のために食料を買い貯めたり、

ネット上でも大騒ぎになっている。


どかっと街に雪が降ってくれたら楽しいだろうけど、

まあ、降っても、山の上にちょこちょこっと、

雪がチラつく程度でした、というオチが見え見えだ。

話は変わり、今日、オフィスで仕事をしていると、

一昨日上海で起こった〝管理部長の一言事件〟

(※昨日の上海での記事をご参照願います。)

が再び強烈な怒りや悲しみとなって上がってきた。

一度は赦して完結したはずだったのだが、

兄貴は、ここぞとばかり、そのおおもとに隠れていた

強烈な〝ラスボス〟(罪悪感)を上げてきた。


〝ああ言われたとき「じゃあそうします。」と言って、

 すぐに会議室から出て行ってやればよかった。〟


〝これって、十分パワハラとして、

 訴えることができるのではないか。〟


〝こんなことされましたと、誰々に報告しなければ〟


自動反応で電流が流れ、そこからエゴの物語が始まる。

毒素がわわわ、とみぞおちの辺りに広がる。


僕がずっと抱えていた痛みが、

ズンズンと強烈な出力で決断の主体を刺激し、

聖霊からぱっとエゴにスイッチが切り替えられる。


そして次の瞬間〝みんなの前で侮辱された〟という、

何度も何度も使ってきたおなじみのパターンとなって

現実に投影され、それを見てうんうん唸る。


ちょうど昼休みで、オフィスには僕一人だったので、

ゆったりと椅子にもたれて目を閉じ、

そのカラクリや痛みをじっと観察し続けた。


すでに、これは自分のものではないと知っているので、

エゴの出来事と自分との間にスペースができており、

エゴに反応していない状態にはなっている。


この〝認識して感じる瞬間〟ってすごく大事だと思う。

ちゃんとエゴを認識せず、ただ、明け渡すだけでは、

赦しが上滑ってしまい、すぐに隠蔽されてしまう。


丁寧に、丁寧に、モードをエゴから聖霊に切り替える。

そして、全てを聖霊に開いて大放出する。

あとは兄いに任せて、沈黙。

削除依頼が受理されたかどうかも考えない。


〝俺は本当に神との分離を信じているんだな。〟

〝でもそんなの起こってないし故に世界もないんだ。〟

〝この世界は終わった夢の追体験なんだ。だから、〟

 いかなる罪悪感も感じる必要なんてないんだ。〟

夕方、電車に乗っていたとき、ある駅で、

ホームレスっぽいおっちゃんが、パンパンに膨れた

ビニール袋を30個ほど結びつけたガラガラを引き、

満員の電車に乗り込んできた。

その瞬間、ものすごい愛が溢れだしてきた。

何を見ても愛。感謝と賛辞が空間に満ちてくる。


僕の場合、なぜか分からないのだが、

大きな赦しの後には、だいたい時間差でこれが来る。

何を見ても、何が起こっても、愛と感謝しかない。


こんなとき、自分たちは、ただ当てもなく

赦しをやってるわけではないのだ、と分かる。


一度、このレールに乗れば、こっちのもんだ。

赦したら、赦される。これは絶対絶対本当なのだ。