香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ヴィパッサナー瞑想 (9日-10日目)



9日目が始まった。

明日10日目には聖なる沈黙が解かれるため、

瞑想に集中できる実質的な修行はこの日までとなる。


もう出るものは出尽くした、という感じで、

9日目は比較的ゆったりと修行に専念できた。

瞑想を続けながらも、聖霊と対話していた。

今後、僕は中国やベトナム、北朝鮮などの共産圏で、

何かしらの精神的な活動をしてゆくことになるだろう、

みたいなことを聖霊は伝えてきた。


「ええっ。なんのコネもないのに、どうやって?」

「共産圏で活動して、逮捕されたどうするんだよ!」

「第一どうやってご飯を食べて行くって言うんだ?」

次々と疑問は噴出する。

そのたびに聖霊は、大丈夫、何とかする、と言う。


奇妙な形容だが、

自分の中から別の声が聞こえてくるような感じ…。


そのうち、

自分は頭がおかしくなったのか、と怖くなり、


「いくら聖霊が話していると自分で思っていても、

 本当は何か得体の知れない怖いものなのかも…。

 まあ、軽く受け流しておけばいいさ。」


と思ったりするのだが、

兄貴だという体感と、根拠のない確信がある。

それに、声が聞こえなくなったらなったで、

それはまた嫌なのである。もう、わけが分からない。

そうして、瞑想最終日、

最後に愛と慈しみの瞑想を習った。

僕は自分で編み出した〝素粒子爆発法〟を使い、

(ヴィパッサナー瞑想は、先生に確認後であれば、

 個人でアレンジしてよいことになっているのだ。)

愛と慈しみの想念を、

爆発的な素粒子を空間に送ることで、

兄弟の聖霊を通じて、延長していった。

これを会社でやれば、きっとすごい事になるだろうな

と思いながら…。


エゴに対しても、愛と慈しみをもって、

投影された設定や、湧き上がってくる怒りや憎悪を

溶かしてゆく。

最も愛を必要としていたのはエゴだったのだな、

とこのとき知った。

一緒に明け渡し、一緒に消えてゆくのだ。

その覚悟ができたとき、エゴはもう、

嫌悪するものではなくなった。

10日目の朝9時半、聖なる沈黙が解かれた。

解かれた途端、女子たちは待ってました、とばかりに

中庭でおしゃべりを始めた。

ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ、もうすごい喧騒だ。

僕はもう少しこの静寂の余韻に浸りたかったので、

ひとり、散歩コースを歩き、それから食堂へ向かった。


食堂はもうおしゃべりの坩堝と化していた。

さっきまでの瞑想の事など忘れてしまったかのように、

ああだこうだと、みんな大声で話しまくっている。


僕も、香港から来た生徒さんと話をした。

彼はすでに香港での瞑想センターも経験していて、

今回は古い生徒として参加していた。

彼の言によれば、香港のほうが人数も少なく、

食事や部屋の環境もいいらしい。

しかし夏は蚊が多いので、

参加するなら冬がよい、ということだった。


僕はもう参加はしないかな、と答えた。

今回は聖霊兄貴の要請で参加し、

その目的は完了した、と感じた。


香港の仲間由紀恵とも話した。

彼はすでに仕事を辞めて3年間も、

世界各地を放浪しているのだという。

今回は、禅に興味を持って参加したらしい。

この後は北海道へ行き、そのあと香港へ戻って、

タイにしばらく滞在した後、また仕事を探すのだと

教えてくれた。


のちに、

兄弟てっちゃんやさおちゃんとも意見が一致したのが、

今回の参加者の中に何人か、

「あれ、この人、なんか見たことある。」

「このひと、昔会ったことがあるような気がする。」

「この人、絶対知ってる。誰だったかな?」

と思えるような人がいたことだ。

多分前世で繋がりがあったかなんかだと思うが、

とても不思議だった。


参加者の人の職業を聞いてわかったのが、

男性に限って言えば、会社員は僕ひとりだけだった。

植木屋さんやスナックのマスターやパン屋さん等、

自営業の人が3分の1くらいで、あとは無職の人。

中には、日本各地を着の身着のままで放浪していて、

メシにありつき、雨露を凌ぐために参加した、

というヒッピーの人も数人いた。


こうして、10日目はおわり、

明日の朝の修行と最終講話を残すのみとなった。