香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ないないづくし


毎日残業が続いている。

昨日も家に着いたのは夜の10時だった。

こんなに忙しいのは、

2週間にも及んだ春節休暇明け、ということもあるが、

今月は他の月より日数が少ないため、

財務諸表の提出期限が前倒しになっているのだ。


佛山、上海、フィリピン、香港…。

各拠点の財務の女の子にはっぱをかけまくるが、

美容院へ行くだの、ネイルサロンの予約があるだのと、

どの子もみんなマイペース。


今日も佛山にいるふぁちゃんからの資料待ちだったが、

やっと送られてきたエクセルの資料を開いてみれば、

どこかのセルが循環参照に引っかかっていて、

数式が機能しなくなっていた。

関数を駆使したセルの数字にエラーチェックをかけ、

ひとつひとつの参照を追いかける。

でもこれって昔は全部そろばんでやってたんだね。

昔の人、すごい!

静かに今に停止していると、

残業をしていようと、家でテレビを見ていようと、

今ここでしているひとつひとつの動作自体が、

人生そのもののように思えてくる。


関数ガチガチのエクセルをチェックしている時は、

それが人生の目的となり、

家の書斎で小説を書いているときは、

それが生きることそれ自体になっている。

そして、家に帰り〝5時に夢中〟を見ながら、

岩井志麻子が連発する下ネタに爆笑している時は、

それがいま起こっていることの全てとなる。


それにしても志摩子先輩、

テレビでこんな3文字やあんな4文字を連発して、

本当に大丈夫なのか。それも生放送で…。

というわけで、

ここへきてノンデュアリティの大和田菜穂さんである。

最近になってようやく、彼女が言わんとすることが、

ストンと腑に落ちるようになってきた。


これまでノンデュアリティに対しては、

何の方法論もないなんて、こんなの救われない、

と、少々懐疑的だったのだが、

ああ、彼女が言いたかったことはこういう感じか、

と体感として理解を始めた。



↓大和田菜穂さんに関する過去の記事を参照願います↓
バコーン - 香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

スピドル - 香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー



怒りを感じていようが、愛を感じていようが、

コースを学んでいようがバシャールを学んでいようが、

聖霊を選んでいようが、エゴを選んでいようが、

攻撃してきた相手を赦そうが、赦すまいが、

結局、

目醒めるために自分ができることは何もなく、

父が待つ故郷への永遠なる帰還が起これば、

それは起こる。


まあ、これを言っちゃあ、身も蓋もないのだが、

あれはこういうことかな、ああいうことかな。

あそこにはこう書いてあった、ああ書いてあった。

この人はこう言っている、あの人はああ言っている、

意地悪であろうと、いい人であろうと、

赦しを実践していようと、いまいと、

起こることは決まっていて、何をしてても、

目醒める人は目醒めるし、

夢から抜ける人は抜けて行く。


一体だれが〝それ〟を目撃しているのか、

一体だれが〝それ〟を感じているのか、

という話になってくる。


「あの人の言っていることはちょっと違うんですね。」

「それは非二元で、純粋非二元ではないんです。」

「あの人も何々に気づいてからは相当変わったね。」

などという、よくスピ仲間で交わされる会話は、

何の意味もなさない。


どんなに学びが進もうが、

どんなに今日の自分が、

昨日の自分よりスピリチュアル的に変化していようが、

何百冊のスピ本を読み、何百のワークに参加しようが、

今回で幻想を終わらせ、

父が待つ故郷へ永遠に帰還することとは関係がない。


ただ〝そのとき〟を待つしかない、と観念した瞬間、

何かがやってくる。


大阪のおばちゃんの口癖に、

「まあ、どうでもええけど…。」というのがある。

例えば、散々人の噂話や自分の身の上話をした後に、

「まあ、どうでもええけど…。」

という一言を、必ず最後に付け加えるのだ。

東京の人がこれを聞くと、

「いままでどうでもいい話を聞かされてたんかい!」

となるそうだが、

こういうおばちゃん覚者でもアリだと思うのだ。

〝いつもボヤいてばかりいるけど真の聖者〟とか、

〝芸能ネタ大好きな本物の覚者〟とか…。

(なに?このむりくり感…。)


戻ってゆく際に〝自分だと思いこんでいるこの自分〟

に求められるものなんて、何もないのだし…。


ただ、

〝まあ、どうでもええけど…。〟の先に、

ひとつだけ、とても重要なことがある。


そういったことをすべて理解していながらも、

それでも、やっぱり、やる。

それでも、やっぱり、実践する。

それでも、やっぱり、赦す。

ということである。


ああ。

なんか最近、やばい。

だんだん言葉では表現できない領域に入ってきた。