もう3月なのに、しとしと篠突く雨が続き、ちょー寒い。
会社近くに新しいフィットネスジムがオープンしたと、
ケリーから教えられ、早速下見に行ってきた。
すごくこじんまりとしたジムで、マシンの種類も、
更衣室のロッカー数も、そんなに多くない。
それでも、清潔だし、事務所から近いし、
昼休みの一時間、身体を動かすだけなら、
まったく問題はない。
月会費も420香港ドル(6300円)とちょっと高め。
しかも、タオルの貸し出しが別途300円かかる。
うう…。毎回タオルを持っていくのもなんだしなあ。
ということで、料金表だけもらって帰ってきた。
すると、午後からケータイが何度も鳴りだし、
一度に二年分を払えば、もっとお得だ、とか、
昼間だけの使用だとこんなに安くなる、とか、
マネージャー権限で、タオルをお付けしてこの料金、
と、セールス攻勢がぐいぐいくる。
なんやねん。安くなるんやないか!
だが、
押しの強い、山っ気のあるセールスも嫌いではない。
絶対取りに行くぜ、というガッツを感じる。
それでも、委ねて、もうしばらく待ってみることにした。
なんか最近、
・今この瞬間に在る。
・聖霊兄貴に委ねきる。
・ハートでいる。
朝から晩まで、いや、夜、眠っている時でさえ、
これしかやっていないような気がする。
普段、日常生活で、個の自分が何をやっているか、
何を話しているかは一切関係ない。
たとえ、人の噂話をしていようと、
仕事で、真っ赤に燃えた炭のようになっていようと、
自分の子供を叱りつけていようと、全く重要ではない。
それは自分ではない。
外で何をしていても、内でやっているのはこの3つ。
今この瞬間に在る、というのは、僕の場合、
10秒前の自分と今の自分は別人だと認識すること。
昨日、あんな事をしてしまった自分は、
いまはもう、どこにも存在していないし、
もとから存在などしていなかった、と、
真に腑に落ちている状態である。
また、10秒前のあの人も今のあの人ではない。
ここに見えている〝これ〟でしかない。
今のこのポイントだけをなぞっていっている感じ。
聖霊兄貴に委ね切る、ということは、僕の場合、
上がってくる全ての想いや考えを全部、
背後の決断の主体にいる兄貴に渡してしまうことだ。
常に背後に兄貴の気配を感じていて、
近頃では、ほとんど自分でやらなくなった。
ハートでいる、というのは、僕の場合、
薄皮一枚のスクリーンの背後に広がっている
実相の気配を意識する、ということである。
要は、スクリーンに映る事象は全てウソだ、
と看破しながら生活しているような感じ。
そう言う意味で、今までこれが自分だと信じてきた
ものって、全部過去だったんだ。
そして、そんなものはみんな嘘だったんだ、
と、知ってる状態、から、それを生きている状態、
へと切り替わりつつある。
それでも、やっぱり、
その瞬間瞬間の〝びゅんびゅん〟はやってくる。
今日のSKYPE全体会議の間中も、ずっと、
何の根拠もないびゅんびゅんを、
現れては委ね、現れては委ね、していた。
そして、今、この文章を書いている自分はもう、
会議に参加していた時の自分とは何の関係もない、
別個の新しい自分となっている。