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今日は久々の佛山工場日帰り弾丸出張であった。
ふぁちゃんの部下である会計員の女性が、
来月から長期の産休及び育休に入るため、
新会計員の採用面接をすることになっていたのだ。
今日は、人事部のほうで6人の候補者の面接を
アレンジしてくれていた。
履歴書に沿ってまず僕が面接をし、
OKであれば、ふぁちゃんにレジメを渡す。
仕事内容や福利厚生など、細々したことは、
ふぁちゃんと人事の人が説明する。
面接している間、
自分は面接する側で相手はされる側、という、
眼前にただ顕れているだけの0と1の設定の中で、
分離して力を振るいたい、という想いを捉える。
気がつくと、ストーリーの中に飲み込まれている。
その都度、聖霊を思い出しながら、選び変えて行く。
とはいうものの、心の中の決断がどうであれ、
形の上では、やるべきことをやらねばならない。
全ての面接を終えてから、ふぁちゃんと二人、
どの候補者を採用するかを話し合った。
まずふぁちゃんに、どの候補者を外したいか、と訊く。
すると彼女は、僕が内心、この子を採用したいな、
と思っていた候補を真っ先に外し、この人はちょっと、
と僕が真っ先に外した候補をイチ推ししてきた。
僕が推していたのは、湖南省出身の26歳の女性で、
4歳の子供を田舎に預けて働きに出ている。
ふぁちゃんのイチ推しは、地元広東省出身で
33歳になる女性で、小学校高学年の子供がいる。
彼女の意見では、財務部はお金を扱う部門なので、
地元出身の人の方が身元がちゃんとしているし、
子供も大きいので仕事に集中してもらえるだろう、
ということだった。
逆に、湖南省出身の女性は、4歳の子供は女の子で、
跡継ぎの男の子がいないため、また妊娠するはずだ、
とふぁちゃんは予測しているのだ。
会社がこんなにも女性職員の妊娠にこだわるのは、
中国の労働法では、
妊娠中や育児中の職員を解雇することができず、
育児に関する休暇を拒否することもできない、
と定められているからだ。
要するに会社は、妊娠期間及び育児期間を含めた3年間、
その該当職員に対して、いかなる処分もしてはダメで、
本人は休暇取り放題、ということになる。
なので、最近では、子供を産みたくなったら就職する、
という新婚女性が増えているらしい。
それに一人っ子政策も緩和され、
一人目が女の子の場合は、二人目を産んでもよい、
と改訂されたため、今年は妊娠出産する人が
特に多くなると予想されていた。
会議室で、ふぁちゃんとこんな話をしながらも、
心のレベルでは、全ての分離の思いを、
決断の主体へと戻し、聖霊へ明け渡していた。
現実に顕れていることは、
心の中で赦した後の結果なので、
その時の自分の行動や言動も含めて受け入れる。
こんな事言ってる、とか、ごちゃごちゃ考えない。
結局、ふぁちゃんにお任せ、ということになった。
佛山、香港間の、往復のフェリーと車の中では、
加藤三代子氏の講義を何度もくり返し聞いていた。
原因のレベルの赦し、の部分は特に何度も聞いた。
決断の主体の断片の説明で、
個の部分とひとつの部分の整理ができた。
今日は〝心の中での赦し〟を意識し続けた一日だった。
一言、言葉を発したり、聞いたりするだけで、
分離感から来る恐怖や罪悪感は絶えずやってくるが、
その恐怖や罪悪感そのものを云々するのではなく、
元ネタになっている、分離していたい、という想いを、
決断の主体から聖霊に明け渡してゆく。
もう外をいじる必要は一切ないのだな、と思った。
何かを行ったりやったりしてしまった自分さえ、
それは過去であり結果なのだから、
それについて云々したり、変えようとする必要はない。
他者、又は、自分が外界でどんな反応をしたにせよ、
どんな行動を取ったにせよ、
見つめ、選び直してゆくのは、原因である心の中だ。
外界の出来事に対しては、いまここに顕れている事象を
ただ受け入れ、ただやるべきことをこなしてゆく。
結局、赦すのは自分の心の中の出来事であり、
外界の出来事ではなかったのだ。