↑ご飯が余ったので梅おにぎりのお弁当を作ってみた。
(進歩!カンドー!)
香港は今日からお仕事なのだ。
そして、僕は佛山に一泊出張に来ている。
夜は散髪に行き、屋台でチャーシュー飯を食べ、
ホテルに戻ると、買ってきた長城ワインを飲みながら、
YOUKUで90年代の心霊番組を見るという、
いつもと変わり映えのしない、うだうだ出張である。
そして、何故だかわからないのだけれど、今日一日、
ベッキーの不倫相手の人が歌っていた、
『私以外私じゃない』という歌のサビの部分、
♪〜わたし以外、わたしじゃないの〜♫ の歌詞が、
♫〜わたしという、わたしは無いの〜♪ に変えられて
延々頭の中でリピート、リピート、リピート、していた。
もうずっと頭の中をぐるぐる流れ続けていて、
何かを赦すたびに、このフレーズが、
あのゲスの乙女の裏返った声で、ポンと出てくるのだ。
ああ、だめだ。書いてたらまたはじまりそう。やめて!
さっき、中国YOUKUで、ものすごく以前に放送された
〝サイエンスZERO〟の映像を見つけ、
陽子と中性子について説明していたので見てみた。
原子核の中には電子と同じ数だけの陽子と中性子が
ぎゅっと凝縮された状態で詰まっている。(例外あり)
しかし、普通、プラスの電荷を持つ陽子同士が、
圧縮状態でくっつきあっていると、普通は反発し合い、
分離してゆくのだが、そこへ電荷を持たない中性子が
入ることでニュートラル化され、
原子核は原子核(物質は物質)として、
保たれているのだという。
このとき、
陽子は意志であり、愛である。
中性子は、意識であり、調和である、
という、足立郁朗氏の波動の法則を思い出した。
電荷を持たず、中立を保っている中性子が調和だ、
というのは正しいと、番組を見ながら思った。
心が、陽子モードになっているか、
中性子モードになっているかで、
空間が愛で満たされているように見えたり、または、
空間がニュートラルなただの映像に見えたりするのだ。
もしそうなら、あらゆる万物は愛と調和でできている、
ということになる。
そして、決断の主体がエゴと同一化することで、
陽子と中性子が歪められ、愛と調和だったものが、
恐怖や、怒りや、憎悪、というような、
愛ではないもの、調和ではないものに歪められて、
空間に顕れてきているのではないか、と直感した。
そこで、エゴを選んでいる自分を観察し、
委ね、聖霊兄貴に訂正依頼をすることで、
陽子と中性子の歪みが訂正され、
最後に僕たちは、愛と調和に満ちた、
幸せな夢へと導かれるのだな、と思った。
そういうことなら、
おとといのヴィパッサナー瞑想の中での
素粒子爆発法を使ったメッタ(愛の放射)の修行は、
陽子を爆発させるのと同じ作用があることになる。
まあ、あくまでこれは、
僕の勝手なファンタジーであり、
証明はできないことではあるけれど…。
でも、こういう空想って、なんか、楽しい。
↑モールでしばしたたずむ。
なんだか、無機質な人形が動いているみたい。
日本が休みのせいか、
今日はこれと言った赦しもなく穏やかに過ぎた。
その分、落ち着いて、瞬間的に心の中で選んでいる
小さなエゴの訂正依頼を聖霊兄貴と共にやれた。
ふと、
目の前でPCに記帳入力をしているふぁちゃんや、
財務室と外の事務所エリアを隔てる強化ガラス越しに、
作業着姿で動き回っている仲間たちを眺めるにつれ、
それらの風景が、現実から乖離した、
夢の中の人たちのように見え、
これって本当に起きていることなのだろうか、と、
素朴な疑問がわいてきた。
そういえば、
この星谷周作という人物を星谷周作たらしめている
過去に経験してきた無数の〝個の記憶〟も、
本当にあった出来事なのかどうか、なんだか怪しい。
だって、いまこの瞬間には、
もうその状況は消滅していて無いのだし、
記憶はいくらでも脳によって作り変えられるのだから、
100%証明することもできない。
じゃあ、一体この星谷周作って誰なの?
この人、なに?
♪〜わたしという、わたしは無いの〜♫
ああ、またはじまった。
やめてえーっ!