香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ひとりリトリ

日本にいる。

いつもは、制服も、メイクも、サービスも、

イケイケなキャセイ便で来るのだが、今回は、

伝統のおもてなし、日本航空で羽田へ向かった。

羽田から伊丹空港までの国内線も日本航空だった。


そこで驚いたのが、JALのパイロットの人って、

待合ゲートで搭乗を待っている僕たちに、

「本日はよろしくお願いいたします。」と、

笑顔でお辞儀をしてから飛行機に乗り込むんだね。

クルーの人たちも同じように頭を下げてゆく。

もう、長年中華圏に住んでいる者には感動ものだよ。

心、もっていかれ状態…。


出張の多い僕が常々感じているのは、

旅行をするときに使用する交通機関やホテルに、

その時の自分の意識状態が反映されやすい、

ということである。


渋滞に巻き込まれ、飛行機に遅れそうになった。

ホテルの従業員の態度が最悪だった。

隣の席の外人がすごい大男で窮屈だった。

タクシーにケータイ忘れた。などなど…。

状況はともあれ、その時の自分の〝想い〟が、

結果に反映されてくる。

今回僕が乗った同じJAL便でも、

僕のように感動した人もいれば、イヤな思いをした人

もいるだろう。

同じホテルの同じ部屋に泊まっても、口コミ評価が、

星ひとつの人もいれば、5つの人もいる。

要は、その時の自分の意識の状態によるのだ。


僕は、旅行では片っ端から赦すようにしている。

その状況や人を赦すのではなく、心の原因を赦す。

消えてゆくこの人たち、消えて行くこの状況を、

どんどん聖霊兄貴へ上げてゆく。

すると、自分が気づいていないだけかもしれないが、

今では、旅で不愉快な思いをすることは、

ほとんど無くなった。

もともとは金曜から、乙女ののりちゃんちで

合宿する予定だったのだが、それをキャンセルし、

急遽大阪の実家に戻っている。

日本へ行く前日、妹から電話があり、

認知症を患っている父親の事で相談を受けた。

〝もの盗られ妄想〟が出始めている、というのだ。


もう、去年の暮れから、3−4回くらい、

財布の中の金がない、引出しの中の5万円がない、

と騒ぎになっていたのだが、そのたびに母親が盗んだ

と信じ込んでいるようなのだ。


「この家にはドロボーがおる。」

「警察に調べてもらわなアカン。」と言い出し、母親が

「ドロボーって私の事を言ってるのか?」と聞くと、

「そうや、わしとお前しかおらへんねんから。お前や。」

の一点張りで、それで、傷ついた母親が妹に助けを

求めてきたのだった。


それに、毎回銀行から下ろしてくる額も、5万円、

10万円と高額で、毎日梅田に出ては飲んで帰ってくる

ため、誰かと知り合いになっておごったり、

盗まれたりしてるのか、と心配なのだという。


ちょうど数日前も10万円が無い、と言いだし、

母を疑いだしたので、妹が実家に来て、父と一緒に

あちこち探したら、引き出しの裏から3万円、

薬箱から5万円、秘密の財布から5万円という風に、

あちこちからお金が出てきた。

本人は盗まれないように、と分散させて隠したつもり

らしいが、そのことを忘れてしまっているので、

無くなった→盗られた→母が盗った→疑心暗鬼

となるらしい。


ただ、ときどき、こういう状態になるだけで、

しょっちゅうではない。

それに〝もの盗られ妄想〟以外はおおむね正常で、

受け答えもしっかりしており、日常生活に支障もない。

まあ、今回、僕が実家に戻り、父と話してみても、

普通に会話はしているし、昔の事も覚えている。

だが、行きつくところまで行ってしまっていたら、

それなりの対処ができるのだが、普段正常なだけに、

頭では分かっていても、ついつい、反応してしまうのだ

と母と妹は言う。

まあ、今後は様子をみながらということになるだろう。

母親はどこへ行くのも父と一緒で、喧嘩もするけど、

基本、仲良し夫婦である。

ただ、今回の事は〝母が仕掛けてるな〟とは思った。


毎日梅田で飲んでくる父が気に入らない→

自分のお金を持っているのも気に入らない→

父を認知症にする→父に金の事で自分を攻撃させる

→よって自分が父を攻撃できる


そこには〝心配〟という着ぐるみの裏に、

自分が神になって、父という個の人間を操作したい、

コントロールしたい、支配したい、

という分離の想いが潜んでいる。

彼は病気だから、どうのこうの、は結果に過ぎない。


そういう分析をしている僕の心の中も委ねてゆく。

僕にできることは自分の中の〝分離の想い〟を

手放し、全托してゆくことだけだ。

僕が作りだした母を云々するすることではない。


父と母もこうやって何度も何度も役を入れ替えながら

少しずつ赦し合い、削除してきたのだろう。

そして、これからも赦し合っていくのだと思う。


乙女ののりちゃんちには行かなかったが、

大阪でこうやって1人リトリをしている僕であった。