訳の分からないズビズバーな寒暖差の中、
なんとも気だるい金曜の午後である。
リアルタイムでぼくぜん先生を見ていたなんて、
田辺氏が羨ましすぎる。
あのころに青春時代を過ごしたかった。
きっと毎日が刺激の連続だったはず。
思いっきり、やりたいことやって、
納得して故郷へ戻ってゆく。
というわけで、
今日はオフィスに秘書のケリーと二人きり。
ずっと5月の月次資料をチェックして過ごす。
近頃、会社から人がたくさん去り、業務は増えたが、
落ち着きと安らぎは増した。
この世界が幻想で、
やっていること全部に意味がない、ということが、
心底理解できてくると、案外何を見ても赦せるものだ。
そういえば、何の躊躇もなくガンガン赦し出したのも、
ここが単なるVR世界で、本当には起こってはいないと、
心底思えた、2014年8月の大いなる赦しの日からだった。
それ以降、今にいて、
眼前で起こる出来事から誘発されてくる〝分離の想い〟
を捉え、見つめ、兄貴に捧げることを、もう、24時間、
寝ても覚めてもやっている。
性格が単純なのか、思い込みが激しいのか、
その結果現実がどうなるか、はあまり考えない。
(ちょっとは考える…かも。)
そして、はっと振り返ってみると、
本当に削除が起こっている。
この削除は、心の中の分離の想いであったり、
カタチのレベルでの人であったり、事柄であったり、
と、色々なのだが、なんか、実感として思うのは、
赦して、兄貴に委ねても平安が得られない、なんて、
絶対にあり得ない、ということだ。
自分でやるのを放棄するのって、本当に怖い。
どうしても、いろいろな算段を巡らせてしまう。
特に会社員とかだと、利害が絡むので余計にビビる。
だが、最近、怖いときは思い切りビビるようにしている。
この恐怖は本来の自分とは何の関係もないのだし、
怖いときに人前で思い切り怖がれるのは、
すでに恐怖を赦してしまっている証拠でもある。
それになにより、周囲にいる兄弟は、
自分の中に隠蔽している分離感を明らかにし、
自分がいま何を赦すべきかを見せてくれる、
本当に頼もしく、信頼できる存在だ。
相手がスピリチュアル的にどうか、なんて、
全く関係がない。
だから、腐った牛乳を飲んでも平気だった、とか、
十字架刑に架せられても至福でいた、というのは、
僕たちの赦した結果の現れ方が個々違うのと同様、
それはデイヴィッドやJのパターンであり、
そうなることが正しい、ということではないと思う。
別に聖者が腹痛でのたうち回っていてもいいわけだし、
覚者が暴漢に襲われて逃げ回っていてもOKである。
ていうか、もともとみんな目醒めている。
閑話休題!
昼休み、ようつべをチェックしていて、ふと思った。
覚者やマスターと言われている人たち、
悟っていると言われている人たちのほとんどが、
子供をつくらないんだね。
もちろん、ガンガジのように子供がいる人もいるが、
統計的には圧倒的に子供を持たない人が多いようだ。
ゲイリー、デイヴィッド、ヘレン、あやこさん、
大和田菜穂さん、ハレ師匠、イエス、ブッタ…。
ワプニック氏やエックハルト氏もいなかったような…。
これは単なる偶然なのだろうか。
でも、偶然と言うにはあまりにわざとらしい。
今回で二元を終わらせると決めてきているから?
これ以上カルマを作る必要がないから?
それともインディゴチルドレンだからなのか。
そういえば、仏教やキリスト教の僧侶や修道尼なども、
厳しい宗派では子供を持つことが禁じられている。
まあ、
赦して父が待つ故郷へ戻ってゆくことに関していえば、
家族もひとつの赦しのテーマにすぎないので、
この事実は全くあてはまらないと思う。
じゃあ、何でなのか、というと、それは…
わからない。(←おーいっ!)