香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

後ろがヤバい!



以前、

僕が通っているジムの管理会社が清算を開始した、

という話を書いたが、この一週間ですでに、

10店舗のうち3店舗が閉店してしまった。

いつも利用している近所のクラブも、この調子だと、

閉店するのも時間の問題のようである。


というわけで、日曜は朝からジムへ行って来た。

いつものように筋トレをし、瞑想も行なった。

瞑想中、自分を全て兄貴に明け渡していたら、

とても気持ちよくなり、結局1時間くらいやっていた。

ここで瞑想するのも今回が最後かも…。

18年間も通い続けて来たので、ちょっと寂しい。

これもまた、消えてゆく姿、通り過ぎる過去、なんだ。

午後は書斎で、文章を書いて過ごす。


左卜全→キドカラー→あっと驚くタメゴロウ→ポパイ

と続いてきた70年代の風に乗り、やっぱ昭和だろ、

という訳で、最近、万年筆で文章を書き始めた。

これ、なかなかいい。

『檸檬』の梶井基次郎先生になった気分。

最初、とりとめのない文章を、

思いつくままに書き連ねていると、

やがて、自動書記のように手が動き、突拍子もない

言葉が紡ぎだされてくる。ちゃんとした文ではなく、

落書きという範疇だが、直感的で面白い。

これで退屈な出張の夜も楽しくなりそうだ。


寝室の出窓から、

真夏の強烈な日差しが照りつけている。

森の木々の葉が一斉に風に翻り、黄緑色に輝く。

明るく静かな日曜の昼下がり、蝉の鳴き声とともに、

CSの番組から『白いページの中に』が流れて来た。

さっき、聖霊からの気づきが入り、また少し泣いた。

以前から、このブログでも、よく、

体の前側と後ろ側の世界の話をしてきたが、今回は

その構造を、他者を使ってありありと見せられた。


僕たちは普段、身体の前方だけを見て生活している。

そして、自分の背後にも同じように世界が存在する、

と思っている。

なぜなら、振り向けば背後の景色はちゃんとあるし、

鏡やビデオで確認しても、自分の背後が映っている。

しかし、実際には、

自分の背後を絶対に見ることなどできない。

後ろを振り向いて見えた世界は、

すでに前側の世界になっているし、

鏡やビデオに映っている自分の背後も、

前にある鏡に映っている自分の姿を見ているだけだ。

ということは、背後にも、

前方の続きとしての世界が存在しているかどうかなど、

だれにも分からないないことになる。


証明された真実ではないが、

僕のこれまでの体感からくる確信だと、

背後には自分の心の中の世界が広がっている。

何かを思考したり、判断したり、罪悪感を感じたり、

憎悪やエクスタシーを感じている世界が背後にはある。

そして、僕たちはこの肉体の後ろ側の思考を、

自分だと捉えているのだ。


そこで、今日、聖霊兄貴から見せられたのが、実は、

他者も自分の背後の世界(心の中の世界)にいる、

ということである。


例えば、

いつも底意地悪く、自分を攻撃してくる田中さん。

そのとき、大抵は自分の前方に攻撃してくる田中さん

を見ている。田中さんという肉体が、あそこに在り、

なにか予測もつかないことを言ったり、したりしてくる、

と思っている。

しかし、本当の田中さんは自分の背後にいる。


背後にいる→自分の心の中にいる→故にそれは自分

→背後にいる自分の田中さんを赦す→聖霊に委ねる

→前側に投影されている肉体の田中さんが変わる

→または削除される


とまあ、こんなカラクリが見えて来た。比喩ではない。

本当に自分の空間的な背後に田中さんがいるのだ。

そして、

その田中さんは、自分の心の中ゆえに、自分である。

よって、

自分の中の田中さんを赦し、愛を放つということは、

自分を赦し、愛を放つのと同じである。

それは、目の前の田中さんを赦すより格段に容易である。


コースで言う〝他者を赦せば自分が赦される〟を、

兄貴から、実地で見せられた感じである。


↓うしろ側の世界を説明した過去ログ↓

後ろ側のはなし - 香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる

丸投げびゅんびゅん - 香港さんといっしょ! 純粋非二元を生きる


そうして、ただ、自分の背後にいる様々な人たち、

会社の同僚や、コースの兄弟たちや、家族たちに、

愛と感謝を送りながら赦し、聖霊に委ねていった。

それで、心の中に存在している兄弟たちがみな、

自分の想いを代表していたと知り、涙が流れたのだ。



これまで、いつも不思議に思っていた。

目の前でいろんなパフォーマンスをしているこの人の、

肉体のどこにこの人がいるのだろう、と…。

一体、肉体の中の何が、この人をこの人として、

このようなリアクションを取らせているのだろう…?


この人の本質は、自分の背後にある心の中にあったのだ。

わたしも、あなたも、あの人も、みんなうしろにいる。


ただし、ここで注意がある。

絶対に、絶対に、背後の田中さんを、

自分の都合のよいように変えようとしないこと。

絶対にスケベ心を出さないことだ。

自分でやろうとしてもうまくいかない。必ず失敗する。

だって、個の自分はVR依存の中毒患者なんだから、

そんな自分が何をやっても顕われるのは分離だけだ。

ただ、消す。それだけだ。