香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

やってしもた!


↑信号なんてくそくらえ、な中国のロータリー式交差点。
 好きなところから入って好きなところから出てゆく。
 (ホテルの窓から撮影)


先週金曜は佛山一泊出張だった。前日夜に入り、

翌日金曜は終日工場で業務をこなすつもりだったが、

朝、幹部会議の途中から喉がイガイガしてきて、

やがて、咳と熱もひどくなってきたので、

早々と午後3時の船で香港に戻ってきたのに、

香港に戻った途端、元気になってしまった。

「エゴは実在しない。故に〝これ〟も実存しない。」

「神は実在する。故に神の子の自分も実在する。」

という〝非実在バージョン〟が功を奏しているのか?


そんな慌ただしい中、メールでのやり取りを赦した。

以前、このブログでも話した、最近、本社管理部に

入社したキャリア女性のことであるが、

彼女はフィリピンの工場売却案件を担当していて、

今回、フィリピンの弁護士に提出する、

香港側の書類手続きなどを僕に依頼してきていた。

株を今月中に売却せねばならず、

非常に急ぎの案件だったのだが、

香港事務所の定款送付の依頼メールを、

会議に出席していた僕は、見れていなかった。

そこで、急いでいた彼女はケリーに直接依頼し、

自分で弁護士に送ってしまったという。


「急いでいたので自分でやりました。」

という返事が一言あればよかったのだが、

それもなく、僕は僕で中国から同じ書類を送った。

あとで事の顛末を知った彼女が、

謝りのメールを返して来たのだが、僕としては、

なあんか、ないがしろにされたようで気持ちが悪い。


彼女はいつもメールだけで電話をしてこない。

急ぎなら電話で一言あってもいいはずだ。

バランスを考えてケリーに仕事配分しているのに、

この様に直接指示されたらマネージメントできない。


自動反応の思考がびゅんびゅん勝手に上がってくる。

この〝勝手に〟というのがミソで、

これは自分で考えたのではなく、あくまで、

ベールの向こうが自動的に送ってくる信号である。


「エゴは実在しない。故にこの思いも実在しない。」

と宣言しながら、天国にとどまろうとする。


ちょうど、その彼女の上司である本社管理本部長と、

スカイプでの打ち合わせが入っており、その際に、

僕は、上記の内容を全部、上司である彼に伝えた。

「多分彼女も急ぎの案件で焦ってたんだと思います。

 僕の方からも、折を見て言っておきます。」

という本部長の回答と共にスカイプを終了した。


〝世界が実在しないのに、なんで、彼女の件を、

わざわざ上司である本部長に告げたのだろう。〟

〝なんでいつものように、聖霊に委ねっぱなしに

しておけなかったのだろう?〟

〝攻撃の心が別の兄弟を攻撃してしまった。〟

〝自分はエゴの罠にまんまと陥まってしまった。〟


船着き場へ向かう車の中で、

ずっと上がってくる罪悪感を見つめていた。


こうやってエゴは、神の子に罪を感じさせようと、

様々な信号を送ってくる。


「神は実在する。故に神の子の自分は実在する。」

と何度も宣言したとき、ああ、なあんだ、と悟った。


↑夜はイスラム食堂で極太ウイグル麺。

問題は、

本部長に彼女のことを伝えたことにあるのではない。

また、それによって、自分が罪悪感を感じている

ことにあるのでもない。

そんな自分は、もとから実在しないのだ。

実在しない自分が何をしようと放っておけばいい。

何を言おうが、喧嘩しようが、言い合いになろうが、

ただ起こっているように見えている夢は、

夢として扱えばいいのだ。

だって、実在すらしていないのだから…。

神の子の自分とは何の関係もない。


大切なのは、

実在しないものと真の自分(神の子の自分)の間には、

なんの関係もない。

天国に属する自分は完璧に無辜である、

という、真の自覚に気づかせないために、

ありとあらゆる信号を送ってくる

そのエゴのからくりを見抜くことである。


なので、言ってしまった、やってしまったことに

フォーカスする必要なんて絶対にない。

そんなものは実在でもないし、それに罪悪感を持つ

必要もなければ、何かを変えようとする必要もない。

すべては〝ふっ〟と上がってきたものにすぎない。


ただ、それによって罪悪感を感じさせようとしている、

エゴの罠に気づくことである。


「ほれほれ。また嘘ついたんか。悪い奴やなあ。」

「おいおい。聖霊に委ねるとか言いながら、

 人の噂話なんかして、まだまだやなあ。」

「コースを実践してるって言うてるけど、

 まだそんなエゴなことやってるんか。アカンなあ。」

「あーあ、言っちゃったんか。やってしもたんかあ。」


なんでエゴのささやきが大阪弁なのかはさて置き、

ノー!やっちゃってなんかない!

本当は〝ふっ〟とエゴからやってきた行動なのに、

それを個の自分が言ったりやったように思わせて、

罪悪感を持たせようとしているだけだ。


そのままでいい。

これは全部騙されてるんだ、と気づく。

悪魔よ!去れ!ゴーッ!