香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

森前総理でひゅんひゅん


↑これが聖霊から見た今の僕たちの姿?
 (家の近くのショッピングモールにて)

やっと、めまいと耳鳴りが収まったと思ったら、

今度はみぞおちが〝ひゅんひゅん〟しはじめた。

言っておくが〝びゅんびゅん〟ではない。

これまでも〝ひゅんひゅん〟はあったが、

それは赦した後とか〝天城越え〟のときとか、

そういう一定の時間内に限られていた。

それがずっとひゅんひゅんしっ放しなのである。

それどころか、日に日に激しくなる。

別に何があるわけでもないのに、

新しい土地へ行くとか、転職するとか、

新しい環境を前にしたドキドキ感というか、

居ても立ってもいられないソワソワした感じというか、

不快ではないのだが、何とも落ち着かない感覚である。

一瞬、先日の〝うつ病疑惑事件〟と、

なにか関係があるのかなあ、と思ったりもしたのだが、

そういう外的なストレス云々でもないような気がする。


何かの虫の知らせ?

個人的に、何か大きな変化が起こる兆し?

秋分の日も近いし、波動が上昇してるのかも…。

考えても仕方ないので、兄貴にお任せではあるが…。


↑本当の相手は眼前にはいません。

これまで、

自分に動揺をもたらす兄弟を聖霊目線で見たとき、

それは愛を求める姿として認識される、

というコースの言葉がイマイチよくわからなかった。


頭で論理的に理解はできても、愛を求める姿、

という言葉自体が偉大すぎてピンとこなかったのだ。


それが、昨日、フジのワイドショー『とくダネ!』で、

相模原で起きた女性の遺体遺棄事件を報道している

のを見たとき、この〝愛を求める姿〟が、

実体験として入った。


この事件は、ある女性の遺体を、彼氏に言われるまま、

自分のアパートに一か月も保管し、

その間、自分もそのアパートに暮らしながら、

最後は、彼氏と一緒にその遺体を廃屋に捨てた、

というものだった。


死体遺棄の罪に問われた秋山被告は、裁判で、

「恋人から虎の死体だと言われ信じていた。」とか、

「大きな犬の死骸だと思っていた。」

という荒唐無稽な供述を繰り返していたが、

最後は1年(執行猶予付き)の実刑判決を言い渡された。


僕はと言えば、朝、ネクタイを締めながら、

「そんな、虎なわけねーだろ!」

「犬の死骸だったら保健所に電話しろよ!」

と、ツッコミを入れまくっていたのだが、

やがて、次々に画面に映し出される彼女の映像が、

「たすけて〜!」と必死に助けを請う姿に見えだし、

えっ、なに、と思っているうち、

「ああ、この人は愛がほしかったんだあ。」となって、

わわわあ、と彼女に対する愛おしさが溢れ出してきた。


その後も、次々に番組で報道される事件の首謀者や、

スキャンダルの渦中にいる人などがみんな、

愛を求める姿に見え、助けを求めて叫んでいるように

感じられた。

最後に森喜朗前総理のドアップが画面に映し出された。

それさえも、愛を求める姿に観え、

ぎえーっ、やめてくれーっ、と慌ててテレビを消し、

家を出た。


それから、会社に着くまでの地下鉄の中でも、

過去に自分を傷つけたと思っている人たち、

思い出したくもない嫌な奴の顔が脳裏に現われては、

まるでオセロが裏返るように、カタカターッ、と

憎悪の見え方から、愛を求める見え方に変わり、

ううう、と兄貴に明け渡し続けた。


そして、愛を乞う人の姿は、

自分の心の中の姿を見ているのと同じであり、

また、前世の自分の姿でもあったのだ、と気づいた。

眼前の愛を求める叫びは、自分の叫びだった。

ただ、今世では他者に投影しているので、

自分のものとして感じられないだけだ。


みぞおちの〝ひゅんひゅん〟は、

ハートの疼きだったのだ。