香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

お父さんといっしょ


連休一日目はジムへ行き、そのままジムのサロンで、

コーヒーを飲みながら、ゲイリーの3冊目を読んだ。

普段は、行きの通勤電車の中でしか読まないので、

買った本をなかなか読破できないでいる。

それで、アパートに戻ってみると、

広場では中秋節の催しイベントをやっていて、

住人たちでごった返していた。

みんな提灯片手にヨーヨー釣りなどを楽しんでいる。

普段は大陸へ働きに出ているお父さんたちも

家へ帰ってきて一家団欒、子供たちも大はしゃぎだ。


そして、

一日目夜から今日にかけては、念願のお籠りをした。

WOWOW映画→ワイン→創作→ワイン→兄貴と会話

と、このループを繰り返す。

結婚して家族がいないと老後がみじめだ、

と言う人も多いけれど、僕はやっぱりひとりが好き。

起こってもいない未来を想定して今を憂う、なんて、

僕は勘弁である。

それに、どんなに大勢の人に囲まれていても、

実は一人しかいないのだし…。


LINEやFBの相手の反応に一喜一憂していても、

本当は相手なんかいない。全部ひとりでやってる。

自分で自分にほしい答えや返しているだけだ。

要は、全部嘘で、僕たちは騙されているに過ぎない。

歩きスマホ、思考のおしゃべり、ネットゲーム、イジメ、

エゴは静寂を恐れている。僕たちがはっと我に返り、

神の国の住人だったことに気づいてしまわぬよう、

エゴはずっと監視をし続けている。

ゲイリーの3冊目の中のトマスの言葉に、

「自分が他人からどう見えるかなど心配しないように。

どう見えるかを心配するとそれが実在となる。」

というのがある。また、トマスは、

「自分を不公平に扱われている者として知覚すると、

 彼らがした全てを実在化させ、

罪悪感というエゴの思考体系が、

心の中で実在化してしまう。」

と述べている。


赦しの実践において、このことはとても重要だと思う。


自分が不当に扱われていると感じるようなシーンは、

普通に社会生活を送っていれば、

毎日経験することだ。


それを赦す際、

不当に扱われた時に出てくる憎悪を赦すのではなく、

また、自分を不当に扱った相手を赦すのでもなく、

全ては幻想ゆえに相手に罪など存在せず、

相手は何もしていなかった故に、彼らを赦す。


そして、相手が何もしていなかったと、

心底確信するためにはまず、ベールの向こう側で

何が行われているかを注視せねばならない。

諸悪の元凶は、神から離れた、と思い込んだ故の

勘違いが原因だったと気づき、ここはもう天国で、

自分はすでに父のもとへ戻っていることを、

聖霊と共に目撃するのだ。


いま…ここが天国…聖霊…延長…ただの映像…。

これだけがずっとぐるぐるしている

秋の夜長である。