香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

過去の記憶、嫌な記憶…



5連休も最終日となり、ずっと籠りっきりだったので、

リハビリがてら、歩いてジムへ向かった。

古い唐楼の中庭でマージャンをしている人たちや、

怪しい中東の食品店が並ぶ通りを歩く。

街の喧騒が遠くに聞こえ、頭がボーっとしている。

別次元に迷い込んだように、空間が揺らいで見える。

チト、お籠りが過ぎたようだ。


街を散策している間も、

様々な〝分離の記憶〟が浮上しては消えてゆく。

今日上がってきた分離の記憶は、

〝香港へ来たばかりの頃の嫌な奴バージョン…。〟


最初に入った会社にいた日本人女性が、なぜか僕に

ものすごく敵対心を持ち、口を利かないどころか、

ファイルを投げてよこすなど、事あるごとに、

僕に辛く当たってきた記憶から始まり、

若い頃、無謀な上司に皆の前で怒鳴られたことや、

何の保証もない現地採用職員だった20代当時、

家賃や税金を会社に負担してもらっている、

英語もろくに話せない駐在員から偉そうにされ、

不公平感を募らせていた情景が次々に去来した。


やがて過去の相手に、心の中で復讐を開始する。

無限の権力を持っている自分が、あらゆる罰を与え、

彼らに絶対的服従を誓わせ、赦しを乞わせるのだ。

末代までも呪ってやる、というやつだ。


大げさではない。

僕たちは心の中で毎日、この程度のことは、

服を着替えるくらいの何気ない感覚で、

普通にやってのけている。

それも意図的にではなく、自然反射的に…。

また逆に「自分はそこまでひどくはないよ。」

と思っていたりする。


「もうとっくに赦せていたはずなのに…なんで?」

「まだ、こんな思いを持っていなんて…。」

罪悪感から来る自己嫌悪が湧き上がってくる。

聖霊に全てお任せ、委ね切るのだと言いながらも、

こんなことを考えている自分が許せない。


コースではこれを〝心の彷徨(ほうこう)〟と呼ぶ。

当ても無くさまよい出る過去の記憶…。


嫌な記憶、不快な記憶、というのは、

「ほら、これは本当に起こったことなんだよ。」

と僕らの罪悪感を強化するエゴの常套手段だ。

しかも、途中で、甘美な記憶、楽しい愛の思い出、

なんかを差し挟んでくるから厄介だ。

しかーし!

そこはもう年の功、長年赦しを実践している僕である。

即行、聖霊兄貴にモードを切り替える。

罪悪感を強化するエゴの見方から、

赦して取り消すために出てきている、という、

聖霊兄貴の見方にスパーン、と切り替えてしまう。


同じパターンの記憶が何度出てこようと関係ない。

前回赦せてなかったから出てきているのでもない。

もともと、これ全て、本当ではない。

出来事に付随して出てくる感情によって、

これは本当だ、と思い込まされているだけだ。


僕に何かひどいことをした彼らを赦すのではない。

自分は罪を犯した→自分が悪い→そんなの不当だ→

自分は悪くない→悪いのは全部あいつだ

という罪のすり替えを、過去の嫌な出来事に投影して

嫌な気持ちに陥っているだけなのだ。

兄弟ははなから何もしていないし、

これは自分の思いでもない。

信じてはいけない。


いまここ→ここがそのまま天国→聖霊兄貴→

ハートの延長→明け渡し→ただの心の映像→削除


これが僕の赦しである。


これからも兄弟たちは、

僕にさまざまな投影を見せてくれるだろう。

しかし、僕は兄弟を赦す。

なぜなら、それは幻想だから…。

投影したい兄弟には、

思う存分投影させてやればいい。

どっちにせよ、それは真実ではないのだから。