営業企画部員(ちなみに部員は彼一人)として、
数ヶ月前に入社してきたエドワード(39歳/新婚)
から差し出された赦しで一日を終えた。
今朝、僕は珍しく一番乗りで出社した。
しばらくして、エドモンドが出社してきた。
おはようございます、と互いに挨拶を交わしたあと、
財務のケリーやシッピングのユイが出社してきた。
彼女たちが「おはようございます。」と大声で挨拶し、
僕も彼女たちの挨拶に答える中、
エドモンドだけが彼女たちには見向きもせず、
デスクでスマホをいじっていた。
一瞬、怒りがこみ上げてくる。
〝39歳にもなって朝の挨拶もできないのか。〟
〝挨拶もできない人間に営業を任せておけない。〟
〝彼は就業時間にしょっちゅう煙草を吸いに行く。〟
〝ああ、もう採用ミスだな。試用期間でアウトかも。〟
ちゃんとした言葉にはなっていないにせよ、
大体上記のような思考が脳裏を駆け巡ったと思う。
眼前に現れてくるものをただ赦す。
神から攻撃された→エドモンドを攻撃したい、へと、
すり替えられた殺意をベールの向こう側に見る。
毒素のような黒い塊を観察した後、兄貴へ委ねる。
何もしていない故に無辜な兄弟と自分を赦す。
いつものように赦し、そのまま一日業務をこなした。
そして夕方の6時になった。
タイムカードを打ち、ケリーが「お先に失礼します。」と
みんなに大きな声で挨拶をした。
僕とユイが「お疲れさまでした。」と答える。
ところが、エドモンドは、またまた知らん顔。
これはいくらなんでもダメだろう、と反射的に思う。
それでも、普段の彼は総じて礼儀正しく勤勉だ。
言えば解かる、と僕は思った。
それで、もう一度心の中で兄貴を呼んでから、
「うちは日系企業なので、挨拶は基本中の基本です。
どんなに忙しくても、スマホの最中であっても、
ちゃんと顔を上げて挨拶をするようにしてください。」
と、ユイが退勤するのを待って彼に注意をした。
「はいわかりました。以後気をつけます。」
と、彼はひどく恐縮したように答え、帰って行った。
問題はそのあとだ。
彼に注意したことで、エゴを選んでしまったという、
強烈な罪悪感と後悔の思いに襲われたのだ。
〝自分はエゴの幻想を実在化させてしまった。〟
〝赦したつもりでいて、本当は赦せてなかった。〟
〝まだそこに他者の肉体が実在すると思っている。〟
〝エゴの罠にはまってしまったんだ。〟
毒素のように不快な感情の塊りが、
どくどくとみぞおちの辺りから噴出してくる。
それでも、出てくるものは仕方がない。
帰りの地下鉄の中で、ずっと目を閉じたまま、
その毒素のような思いの流動を見つめつつ、
聖霊兄貴に〝訂正!訂正!〟と委ねていた。
そして、
自我による襲撃の発作がマックスに達した時、
聖霊の声が聞こえてきた。
「過去に何を言ったかは関係ない。
自分で何かをしてしまったと正当化してはいけない。
いま、差し出されているものをただ赦しなさい。」
朝、僕が終わったと思っていたものを、
聖霊はわざと夕方にも見せ、
赦しを促したのだと思った。
それは、僕が赦せているかを試す為ではない。
僕に本当の赦しをさせ、捧げさせるためだったのだ。
ただ、兄貴を信頼して、いまやってきているものを
ただ、委ね、明け渡し、赦せばそれでいいのだ。
もう、ここまで来るとエドモンドはどうでもいい。
たまたま僕が、自分の心を彼に投影したに過ぎない。
重要なのは今を使って心の中の罪悪感を捧げることだ。
こうやって少しずつ心を訓練してゆくのだ、と思った。
それにしても、
朝の挨拶ひとつで、こんな赦しに発展するとは…。
聖霊を通して見ていたら、
「朝来たら、ちゃんと挨拶くらいしろよ!」
の一言で済んでいた話だったのに…。
脱力…!
でも、こういう赦しって大事だな、と思うのだ。
じわじわと何年にもわたるような赦し、
例えば小保方さまのようなやつのほうが、
強烈ではあるが、分かりやすくて、赦しもブレない。