↑ 最寄りの駅と山の上にあるアパート間を
このミニバスで行き来する。片道50円。
先週は国慶節で中国大陸が祝日だったため、
ずっと香港事務所でお籠りの毎日であった。
今日受け取った業務メールは何とたったの2件…。
いくら中国工場と上海事務所が休暇中とはいえ、
これは史上最少である。
それでも業務メールの数は、僕にとって、
ある意味、赦しのバロメーターにもなっているので、
忙しいにもかかわらずメールが少ないと、
ちょっとハッピーなのだ。
というわけで、近頃は特に何の赦しもなく、
平安に過ぎて行った、と思ったら、ひとつあった。
ゲイリーの三冊目を読み終え、昼休みにもう一度、
蛍光ペンで線を引いた部分を読もうと開いたら、
聖霊にホーリースピリット、霊にスピリッツ、と、
いちいちルビが振られているのを見て、
またまたイラッときてしまった。
「もう、ティケリぃーっ! こんなん要らんねん。」
(ちょっと巻き舌…。)
その時、
ベールの向こうの決断の主体が聖霊を選んだのか、
〝ふっ〟と赦しの想いが上がってきた。
しばし本を閉じ、あると思い込んでいる罪悪感を、
ベールの向こう側へと返す作業を行なう。
これは自分の中の赦しであり、相手は一切関係ない。
そして、ベールの向こうで起こっているからくりは、
大体下記のような感じ…。
神から離れた→ 自分は神を攻撃した罪人だ
→ 神は罰を与えるに違いない→ 即刻逃げなければ
→ 本当は聖霊を選び、贖罪(訂正)を受け入れたい
→ でも超怖い→ カタカナ英語だとそうでもないな
→ しかし、自分ではそんなすり替えをやりたくない
→ そうだ。他者がやったことにしてそれを咎めよう
→ 翻訳者に自分の分離の想いを投影してイラッ!
天国から逃げようとする心の中にある分離の想いを、
他人に押し付けて攻撃することで、
罪のすり替えを行ない、自分は悪くないと安心する。
それも〝ルビ振りイラつき事件〟くらいの、
軽いものにすることで、安全に攻撃できるのだ。
自分でも呆れるくらい、
複雑でややこしいことをやっていると思う。
これはまるで中学生の初恋みたいだ。
ほんとうはあの人が好き→
でも自分から言うのは絶対いや→
相手の方から告白させたい→
それで相手の前ではそっけない態度→
それで相手の気を引きたい→
突然ライバル出現!相手をライバルに盗られそう→
阻止せねば→
それでそのライバルを攻撃→
好きな相手にばれる→ 撃沈!
みたいな…。
初めから直接行けよ、と言いたくなるが、
まあ、今の僕たちがやってることは、
これと五十歩百歩だろう。
天国から分離する、とはこういうことなんだね。
〝いまここ〟を強烈に意識する。
無数の次元で展開されている別バージョンの
〝ルビ振りイライラ問題〟を観てから
聖霊に明け渡し、訂正を受け入れる。
誰も何もしていないが故に、赦す。
時間にすれば大体2分くらい。
再び本を開く。
聖霊の隣に〝ホーリースピリット〟と、
小さな小さな文字で撃たれている長蛇のルビが、
何だかとても愛らしく見え、大笑いした。
決してバカにして笑っているのではない。
なんでこんなことにこだわっていたのかと、
ひとつひとつに振られているルビが愛おしく思え、
愉快な気持ちが込み上げてきたのだ。
この〝ルビ振りイライラ問題〟もそうなのだが、
最近どんどん赦しが繊細になってきている。
通勤電車で空いた席に座る、というような
小さな行為ひとつからも、
心の中のエゴの攻撃性を見て赦すようになった。
結局、小保方さま級の事件を赦すのも、
列に横入りされてムカッ、を赦すのも、
どちらも同じで、重要性に差異はない。
なので、こういう日常のこまごまとした赦しを
実践してゆくのは、幻想を明け渡すうえで、
とても大切なのだなとしみじみ感じると同時に、
〝一発ドッカーン!〟も回避できる。
それから、最後にゲイリーの翻訳者の方、
たびたびネタにしてしまい、
誠に、誠に、申し訳ございません。
今回は僕の投影を解除する作業を手伝ってくださり、
ありがとうございました。