香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

一発ドッカーン型とチマチマ安定型


↑ 金曜日の午後、痒み止めの目薬をもらいに病院へ。
  (中国へ出張すると必ず目が痒くなるため…。)

またまたひゃっほーい!重陽節の祝日で3連休!

兄貴を通してやってくる直感を作品にしようと、

家に籠って書き物をしながら過ごしている。

幻想世界での活動がますます希薄になってゆく

今の僕にとって、創作だけが唯一のやれること?〟

になってきている。


それにしても、

一体どうしてしまったのか、というくらい平安である。

ISO品管部長の死去をきっかけに、

過去ログを読み返してみたのだが、

なんかもう、隔世の感が否めない。

赦した人や出来事がどんどん消えてゆく。


人や物事はちゃんとそこに在り、

起こることはちゃんと起こっているのに、

それでもそこに誰もおらず、何も起こっていない、

というような非二元的感覚とも少し違う。

僕の場合は、実際に、ごっそりと抜けてゆく。

何て言うか、起きるはずだった事象がカットされ、

編集されて顕われてきている、という感じなのだ。

そしてその分、時間も短縮されて感じる。


まあ、今後も様々な赦しは差し出されると思うが、

何が出てきても、それは幻想で、

ただ赦し、兄貴の訂正を受け入れるだけだ、

と腹が据わってきた。

(目が据わってきたという噂もある…。)


↑アパートの生垣に咲いている
 小さな花々に気づけるのは、
 心に穏やかさがある証拠だ、と思う。

最近、とみに思う。

日々様々な状況を赦してはいるけれど、結局自分は、

たったひとつのものだけを赦してきたんじゃないか、

って…。


なぜなら、毎回、

どんな人を赦しても、どんなきつい状況を赦しても、

そこからくる罪悪感の感じ方は、

決まってひとつの〝びゅんびゅん〟しかなく、

その分離の思いは、必ずひとつの決断の主体へと

返ってゆく。

そして最後には、例外なく、、神から離れてしまった、

という、たったひとつの〝元ネタ〟へと収斂される。


これは、もう、どんなことでも、パターンは同じだ。

どんなに形を変えた罪悪感であっても、

スモールびゅんびゅんでも、ビッグびゅんびゅんでも、

最後は絶対〝神から離れた〟という、

たったひとつの〝勘違い〟を起こした、

ひとつの決断の主体だけを赦すハメになる。

そこには罪の大小もなければ、赦しの大小もない。


これは前回も書いたことだが、

一生をかけて赦すような憎悪の対象も、

足を踏まれてムカッも、心の中では同等である。

それであれば、足を踏まれてムカッをきちっと赦し、

削除してもらったほうが〝おいしい〟と

感じてしまうのは僕だけだろうか。

まあ、一発ドカーン型のほうが、チマチマ安定型より、

分かりやすくてよい、と言う人もいるだろうが、

僕はもう断然チマチマ型だ。

ドカーンなんて怖すぎるうーっ。


そんなこんなで、今日は一日家で過ごした。

というか、起きた時にはすでに夕方5時だった。

ということは、14時間くらい寝ていたことになる。

夕食は昨日買ったサイコロステーキと白いご飯。


ああ、こんな連休の過ごし方でよいのか?

おっと、また眠くなってきた。