二日目には、兄弟てっちゃん夫妻も参加した。
この日の参加者はちょうど50人(数えた)。
先週末に北京で行われたリトリは35人だったようで、
だが、同日に北京で開催された引き寄せ系の講演会
には2万人もの人が参加したらしく、もともと、
デイヴィッドのリトリに参加予定だった人の中にも、
そっちへ行ってしまった人がいたと、
デイヴィッドが楽しそうに話してくれた。
やはり奇跡講座の学習者は、日本でも中国でも、
まだまだ少数派なのかな、と実感させられた。
午後からは、フランシス主導のワークを行なった。
二人ペアになって向かい合い、7分間ずつ交代で、
自分の今持っている仮面の奥の秘密を語り、
聞き手はただ〝わたしは聖なる神の子です。〟
と念じながら相手の話をただ聞き続けるというもの。
やがて、これは、たとえ相手がどんな言動をとり、
どんなパフォーマンスを投げかけてきたとしても、
また、それによって、自分の中に、
どんな反応が起きてきたとしても、
自分は聖なる神の子である、という、
ただひとつの自覚の中で
天国を保ち続ける訓練をしているのだなと理解した。
このワークはたくさんの人たちに癒しと、
神の子の自覚をもたらしたようで、
僕もこの時は分からなかったが、その後に体験する
兄弟たちとの濃密な気づきの時間の中で、
神の子の自覚をまざまざまと体験させられた、
基礎となるワークであった。
セミナー自体は一日を通して4時間半くらいだったが、
通訳が入るので実際は半分の2時間ちょいくらい。
時間ではないとはいえ、やはりちょっと物足りない。
でも、主催者の方が、今、リトリを企画している、
とおっしゃっていたので、とても楽しみにしている。
そして、夜になり、ここからが、僕のすべてを変える、
聖霊の采配のはじまりはじまりぃ〜、であった。
最初、コースの仲間11人くらいで食事をし、
その後、兄弟てっちゃん夫妻、乙女ののりちゃん、
鹿児島のきりちゃんとその友人の方、そして、
今回初対面のエリさんとで、僕が泊まっている
ホテルロビーの静かなソファーエリアで、
シェア会というか、おしゃべりを始めた。
ワプニック流の乙女ののりちゃんと、
デイヴィッド流のきりちゃんが、対峙して座っている。
こんなことはめったにないことだ。
みんなあまりに静かだったので、僕が最初、
お金に関するてっちゃんの赦しについてシェアし、
話を〝仕掛けて〟みた。
その中で、
ベールの向こうに隠された幻想の罪悪感を見て、
神から離れた、というたった一つの間違いを赦し、
それを兄貴に捧げて訂正依頼してゆくという、
ワプニック流の赦しに対し、
聖霊はすでにすべてを知っていて、
世界はすでに取り消されているのだから、
ただ、取り消された後の聖霊の訂正を受け入れ、
全てを承知している聖霊のメッセージに、
赦しも含めて従ってゆくことで、
徐々に幸せな夢へと近づいていく、という、
デイヴィッド流の間で、シェアが分かれた。
デイヴィッド流は、聖なる神の子の自覚で
24時間いるよう訓練することで、
聖霊がすべてを管理してくれるという。
しかし、赦すところまでは自分でやらねばならない、
というワプニック流に慣れてきた僕は、昨日感じた
デイヴィッドの赦しに対する違和感を、
てっちゃんとの赦しの話に絡めて再度シェアをした。
まあ、どちらのやり方も到着点はひとつであり、
間違いでは決してないのだが、
今回、ここへ来た僕の、兄貴へのコミットメントは、
コース兄弟を批判したいという憎悪を手放す、
だったので、のりちゃんときりちゃんが向かい合い、
デイヴィッド一筋のエリさんと僕が位置的に対峙し、
ある意味、話題の中心となっている兄弟てっちゃんが
黙って座っている、というこの構図を見たとき、
みんなを批判したい、兄弟攻撃して自分が神の国を
勝ち取りたいという、強烈な憎悪が出てきた。
それから、それぞれの中に(もちろん僕も含めて)
渦巻く、強烈なエゴが出はじめた。
その内容はとても僕の文章力では表現できないため
はしょることにするが、結果その場は、
ビミョーなピリピリ感に包まれてしまった。
黙々と戦いの恐怖を赦し続ける兄弟てっちゃん。
臆することなく持論を展開する乙女ののりちゃん。
攻撃を受けている兄弟を守らねば、
という思いからくるきりちゃんの防衛。
これには関わらず、すごい形相で聖霊と対話しながら
デイヴィッドのワークをしているエリさん。
そして、コーチョクしているきりちゃんのお友達。
それを見て、出てくる攻撃の思いを止められない僕。
しかし、この時はまだ、自分がどんなに、
他者の憎悪をほじくり、それを外側に見ることで、
自分の中の憎悪を見ないようにしてきたか、
という事にまだ気づいていなかった。
ただ、
一見エゴまみれに見えるこの時間も場所も完璧で、
その根底には、兄弟としての深い信頼がある。
この時はまだわからなかったが、
これが完璧な兄貴の手配だったと今ではわかる。
だからこそ、相手を、自分を、決して喜ばせなかった。
そして、時は流れ、それでもなぜか最後は
和やかな展開で(決して上辺だけでなく)
この場はお開きに…。
それから、僕とてっちゃんでのりちゃんを駅まで送り、
そのあと、てっちゃんと二人、僕の部屋で話した。
てっちゃん曰く、ワプニック氏とデイヴィッド氏では、
どちらも同じものを赦してゆくのだが、
そのプロセスの順序に違いがあるという。
ワプニック氏の赦しは、
認識した罪悪感を、一旦ベールの向こうへ戻し、
決断の主体から聖霊を選びなおしてから、
これは神から離れたというたったひとつの勘違いだと
解釈をし直したあと、聖霊に訂正依頼をする。
その後、訂正後の天国が幻想世界に延長されてくる。
一方、デイヴィッド氏の赦しは、
すでに終わっている聖霊の訂正をただ受け入れ、
罪悪感を含めた全ての判断に対して、
「どうすればいいか私に解るように教えてください。」
とただ祈る。
赦しを含めた一切は完璧な聖霊に任せ切る。
そして、わたしは聖なる神の子だ、という自覚とともに
聖霊のメッセージを受け取り、それに従ってゆく。
ワプニック氏の赦しは、
あると思い込んでいる罪悪感を、
それがあると固く信じているが故に、
一つ一つ認識し、訂正を依頼する。
デイヴィッド氏の赦しは、
もう、そういう幻想の訂正は聖霊によって済んでおり、
自分がやる唯一の事はその訂正済の神の延長を、
神の子として、ただ受け入れるだけだ。
つまり、
訂正前からやるか、訂正後からスタートするか、
という違いがある。
てっちゃんは滔々と語っている。
後で本人が言っていたのだが、
このとき、聖霊がてっちゃんを通じて話しているのが、
自分でもありありと分かったという。
そして、彼が、
「もう取り消されているのに、なんでわざわざ一旦、
出てきた罪を見る必要があるの?
俺たちは神の子なんだから、神の子として、
天国から天国以外を赦すだけでいいんじゃないの?」
と言ったとき、パキーン、と、僕の中で変容が起きた。
そうだ。僕たちはもう、
訂正され、取り消された世界にいるのだった。
もう、決断の主体は神の子に戻っている。
だって、
もう世界は終わっていて、ここは過去なんだから。
過去なんだったら、もう自分は天国にいるはずだ。
そして、この空間に、このまま重畳して存在している
天国にいて、すでに過去であるこの世界をただ
笑いながら赦していけばいいだけじゃないのか。
そうなのだ。
自分はもう天国の住人として生きて行っていいのだ。
ただそれを受け入れてゆけばいいだけだ。
それが、デイヴィッドが言う僕たちが行う唯一の事、
聖霊の訂正(天国)を受け入れる、という事なのだ。
僕はこれまで、訂正を依頼しなければならない、
と思っていた。しかし、もう訂正は完了していたのだ。
自分の中が、ぱぱぱぱ、とフラッシュし、
しばらく呆然自失だった。
頭でわかるというより、ああ、そうだった、と、
ただ解っている。
そうなると、この世界がジョークのように見えてくる、。
ニュースを笑いながら見るようになる、
競争というエゴの場面も〝お笑い〟に変わる、
というデイヴィッドの言葉通りの感覚になった。
すでに天国にいる神の子にとって、
人から何か言われたことに何の意味があるだろう。
訂正が終わっている所にいる者にとって、
腐った牛乳を飲むことが何だというのだ。
人に騙されたからと言ってそれがどうしたのだ。
僕たちが今後やっていくことは、
取り消されていることを確認していく作業だけなんだ、
ということであり、
取り消されるべきものを、自分で見て、戻して、
明け渡してゆく必要はないのだ、と理解が起きた。
ただ、自分にこういう変容が起きたのは、
決断の主体が何をやっているかをちゃんと理解する、
ワプニック氏のプロセスを経た結果だとも思っている。
そこを通らずにここへ至ると、
エゴの罪悪感を無視したままの、お花畑状態の赦しに
陥っていたに違いないと思うからだ。
てっちゃんが普通に戻った。
すっかり興奮した僕は、深夜であるにも関わらず、
隣のホテルにいいるきりちゃんを訪ね、
このことをシェアした。
そして、このときになって、今日の一連の出来事が、
みんなが発する一言一句に至るまで、
すべて完璧に兄貴によってアレンジされていたことに、
このとき気づいた。
しかーし!
今回の学びの旅はこれだけでは終わらなかった。
この後に続く兄弟てっちゃんちの時間の中で、
兄貴はもっと深い部分へ僕を向かわせ、
僕は最大級の自分の闇と向かい合うこととなる。
それにより、コース兄弟を攻撃したくなる、
その基となるものを赦すこととなったのだ。
それにはてっちゃんの奥様であるさおちゃんも
大いに絡んでくる。
やっぱり、
僕たちは兄弟(コース兄弟だけでなく関わる全ての人)
なしには、気づいていけない。
兄弟は本当にありがたいと思う。
はあ、もう今日は書きすぎた。つかれちゃった。
この続きは、また次回ということで…。