香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

聖霊の通り道



東京駅でてっちゃん夫妻に別れを告げ、一路大阪へ。

新幹線の中でもずっと 「私は聖なる神の子です。」

と唱え続けていた。


エスカレーターの右側立ち、豹柄のおばちゃん、

そして、テレビにはハイヒール・リンゴと円広志。

電車で立っているよぼよぼのおばあさんに代わり、

「ちょっと兄ちゃん、おばあさんに席譲ってあげえや!

 ここ、優先座席やで!」

と、大声で若者に物申すおばちゃん集団、など…。

ああ、大阪に戻ったのだな、と実感する。


実家では、ちょっと不思議なことが起こった。

80歳になる父には軽度の認知症があり、

今年の6月に帰省したときには、

財布から母が金を盗んで行く、と騒いだり、

トイレの窓から向かいの奥さんが覗いている、

と訴えたりしていたのだが、今回戻ってみると、

まるで、そんなことなどなかったかのように、

父が普通に戻っていて、ニコニコ会話している。

受け答えも普通で、過去の思い出話も正確だ。

半年前、精神的に追い詰められていた母も、

表情からは険しさが消え、父と冗談を言い合いながら

冗談を言い合ったりしている。

テレビを見ているときも、

「米倉涼子はきれいな脚しとるなあ。」とか、

アグネス・チャンを見ては、

「こいつ、いっつも頭のてっぺんから声出しとんな。」

と、タレントの名前も正確に言うのでびっくりした。


恐る恐る父の症状はどうかと母や妹に訊いてみるが、

「ああ、そうやなあ。」と不思議なニヤニヤ反応の後、

すぐに話題を切り替えられてしまった。


ええっ?マジかっ!なんや?どうしたん?

アセンションでもしたんか?

そういえば、

奇跡は日常の中で起こる、と誰かが言ってたな。

縦軸のタブが削除され、過去が書き換えられた、

ということ?


まあ、それでも父にはまた認知症が戻ってくるだろう。

しかし、見かけがどうであれ、父は完璧な神の子だ。

そして僕はいつでも完璧な場所と時間にいて、

それは父も母も同じである。

翌日、コースのおしゃれ番長Nちゃんと、

三宮で待ち合わせ、ランチ&お茶をした。しかし、

11時半の待ち合わせを、僕が1時半と勘違いし、

彼女を1時間以上も待たせる羽目に…。

再度落ち合い、腰を90度に折り曲げて謝る僕を、

彼女は笑顔で赦してくれたが、

エレガントな女性を1時間も改札に立たせるなんて、

俺ってなんてひどい男!ほんと、すんませんっ!


そうして、

近くのおしゃれカフェで〝2人シェア会〟が始まった。

彼女もデイヴィッドの講演会に参加していたので、

いろいろ熱く語り合っているうちに、

店員さんから「ラストオーダーです。」と言われ、

時間を見れば、夜の8時を過ぎていた。


奇跡講座を真剣に実践しているNちゃんとのシェアは

僕に、様々な気づきをもたらした。

その中で、もっとも深く理解の起きたのが、

〝エゴは別物ではない〟ということについてだった。


すでに聖霊によって訂正された天国を受け入れ、

ひとつの完璧な聖なる神の子として、

現れ出た罪悪感や分離の思いを認識したとき、

神の子の聖性は、決してエゴを別物として観る

なんてことはしない、ということである。

あると思い込んでいる罪悪感を別に観て、

それを聖霊に明け渡すというより、

私は聖なる神の子です、の宣言によって、

光にさらされたエゴはすでに取り消されている。

それは〝あなたはもう完璧なんだよ。〟ということを、

一つ一つ確認してゆく作業でもある。


なので、私は聖なる神の子です、の位置にいると、

聖霊とエゴが別個に存在することはない。

例えば、

「聖霊はこう言っているけど、

エゴの自分はまだ抵抗しているんだよねえ。」

「エゴの自分はこう思っているのだけれど、

聖霊のメッセージはこうこうこうだった。」

というふうに、聖霊と自分を別個に分ける、

みたいな会話は成り立たなくなる。


あくまでこれは今の僕の状態から話しているので、

聖霊を別にみていても何ら問題はない。

しかし、これまで、赦しという名のもとに、

深い部分でエゴをバッシングし、

エゴを傷だらけにしてきた自分に気付いた。

なので今後、エゴは聖霊と神の子の平安の中で、

この肉体の自分と共に、自ら得心して、

幸せに消えゆくべきなのだ。

今後、あらゆる罪悪感を赦す際、

〝神から離れた〟というたったひとつの勘違いより

生じていたことを認識するという赦しから、

〝神から離れた〟という勘違いはすでに修正済

であり、すでに天国にいる神の子の視点から、

それは起こっていなかったことをひとつひとつ検証し、

確認してゆくことが赦しとなってゆくだろう。

というわけで、

今回は本当に濃ゆい濃ゆいコース兄弟たちとの

学びの連続とでもいうべき日本滞在だった。

みなさん、本当にお疲れ様でした。


まあ、ただ、なんであれ、

今、自分は完璧な場所と、完璧な時間にいる。

どんなことがあっても、聖霊兄貴が、神の子の僕を、

完璧に導いてくれるという確信がある。

僕にできることは、ただ、その導きに従うだけだ、

ということを体得させてくれた兄弟たちに感謝である。