香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

次に行く場所


↑静かな雨の夜


いま、僕の勤める会社が、えらい事になっている。

詳細はまだ言えないのだが、僕と管理部長の二人で、

あるプロジェクトを遂行してゆくことになったのだ。

社内の誰にも知られてはならない秘密の任務のため、

連日、非常階段の踊り場でコソコソ電話し合う日々で、

巨大な幻想の怪物と対峙する日が、

もうすぐやってきそうな予感がする。

ああ、どうなることやら…。こ、こ、こわいよう〜。

まあ、それでも自分は、正義を主張するのではなく、

兄貴と共に平安を選んでゆくしかないのだろう。

という訳で、前回、国を赦す、ということを書いたが、

それって、案外個人の意識にリンクしているな、

と、改めて実感している今日この頃である。


外国に暮らしていて、何かを言ったりやったりすると、

たとえ、公人とか偉い人でなくても、

個人の星谷さん、ではなく、日本人の星谷さん、

とみなされる。

中国人が道に痰を吐いても何も言われないが、

僕がやると、日本人なのになんで、となる。


以前、友人の家で、小学生の息子さんからいきなり、

「南京大虐殺で、日本人が何人の中国人を殺したか

 知ってるか?」

と訊かれ、困惑したことがある。

その息子は即座に母親からたしなめられ、

その場は何事もなく終わったが、そんなとき、

否が応でも自分が日本人であることを実感させられる。

と同時に、日本人として何かを発言したりするとき、

自分の中に〝国家的罪悪感〟が潜んでいるのを

感じたりもする。

自国(僕の場合は日本国)のやっている事が、

まるで自分がやったように感覚化されてくるのだ。


逆に、香港人や中国人のやっていることを、

無意識のうちに日本人として裁いていたりもする。

地下鉄の車両で、ケータイ片手に大声で喋っている

中国の人を見て嫌悪感を覚えるのも、

自分の中にある日本人のアイデンティティを以って、

中国人を無意識のうちにジャッジしているからだ。


↑工場前の空き地。何ともうら寂しい。
 ここにいて、ただ消えゆくものの光を見つめる。

他国への批判や嫌悪、自国への憤りや不満、など、

自分の内部に息づく、

国家というアイデンティティを開け放ってゆく。

これはある意味、

何代も前からの過去生から持ち越してきている

罪悪感の投影でもある。

なので、国家を赦すという行為は、まさに、

国家を消してゆくことでもあるのだ。


人生という幻想を終え、肉体を脱いだ時、

外へ投げつけた運子ちゃんが全て自分に戻ってくる。

外に投影されていた他者が、自分に返る瞬間だ。

その際、

他国への批判や嫌悪として投げつけた運子ちゃんも、

同時にリセットされ、返ってくる。

その時の〝想い〟が、

次回、自分が最も見たいと思っている場所へと、

自分をいざなう。


人は、次にその国に生まれたいがために、

その国を批判したり、嫌悪したりしているのかもしれない。

国家は自己の罪悪感の象徴でもあるのだ。