香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

年の功で赦す



イースター前日、久々に友人二人と飲みに出た。

二人とも、昔、広州の大学院で一緒だった同級生で、

一人は香港で日本人向けの不動産屋をやっており、

もう一人もコンピューター関係の会社を経営している。

言わば、二人とも社長さんである。


最初、

北京ダックで有名な北京楼で食事する予定だったが、

先日、僕が銀行の接待で行ったばかりだと言うと、

チムサーチュイにある〝世界の山ちゃん〟で、

名古屋名物の手羽先を食べることになった。

ここは2時間の入れ替え制ということで、その間は、

ハイボールとビールが一杯100円で飲める。

なので、ガンガン飲もうとしたら、

注文しても、なかなか次の酒を持ってこない。

ああ、そういうことか、と納得する。

次の酒を持ってくるまでのスパンを長くすることで、

儲けの少ない酒の注文を減らそうという魂胆なのだ。

香港人はそんなにお酒を飲まないので、

この値段でも採算が取れるのだろうが、俺らのように

がぶがぶ飲まれると、すぐに赤字になってしまう。

しかし、そこは香港で商いをしている友人たち。

目を合わせようとしない店員に大声で催促をし、

それでも無視されると、自分でカウンターまで、

飲み物を取りに行く。

しまいには店長に文句を言い、結局、僕たちだけ、

二時間の時間制限を外してもらうことに成功した。

なんか、こういうやり取りを見るのは久しぶりだ。

香港に来たての頃は、もう毎日が臨戦態勢だった。

不当に扱われるようなことがないよう、

職場でも、レストランでも、戦々恐々としていた。

そして、少しでも自分に不利な事が生じるや否や、

ものすごい勢いで相手に食いついていき、

最後には、必ず相手に何らかの償いをさせるのだ。


そういう意味で、海千山千の香港人を相手に、

日々、シビアな駆け引きをしている二人にとって、

損をしない為にキチンと自己主張することは、

もう、ごく自然に身に着いた処世術だと言える。

当時の僕も、そうやってトラブルと闘うたびに、

「自分は今、外国でひとり、頑張って、るぅぅーっ!」

と、ある種の自己陶酔に浸れていたが、いまはもう、

香港人とバトルするだけの体力がない。

正確には、自分の化身である香港人との戦いに

妙な滑稽ささえ感じ始めている。

自分と闘って何の意味があるのだろう。

闘って、どこまでも正義を主張するくらいなら、

赦して平安を選んだ方がいい、と考えてしまう。

ここまで書いて、ふと気づいた。

きっと、赦しの許容度は、年齢に比例するのだ。

若い血潮で燃えている間は、

あらゆることを見過ごせないし、赦せない。

まだまだ平穏なんかではいたくない、

というわけなのだ。


そして、あれやこれやと積もる話をした後、

飲み足りない、とばかりに海辺のバーへと移動した。


ここでは、ワインを3本空けた。

まあ、二人は何と言っても社長なので太っ腹である。

値の張るワインをばんばん注文する。

当時は南京虫のいるチョンキンマンションに泊まり、

何をするにも支払いばかり気にしていたのに、

よくここまで頑張ったものである。ちょっと感動!


この日、帰宅したのは夜中の1時。

ああ、楽しかった。