香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

奇跡講座で天城越え


イオンでメンズグッズフェアをしていた。

そこで、

男性用透け乳首防止テープなるものを見つけた。

いままで自分の乳首が透けているかどうかなんて、

全然意識したことなどなかったのだが、

この商品を見て、新たな感慨を覚えた。

そもそも女性は、シャツに浮き出る男性の乳首とか、
 
どう思ってるんだろう?

気持ち悪いとか、思ってるのかな?

中国だとみんな裸でうろうろしてるし…。

ぷちっと浮き出しているのがだめなのか?

わからない。


そのほかにも、

これは男性なら誰でも経験あると思うのだが、

立ちしょんをしたあと、スラックスの股間の先に

〝ちょっ〟と一滴おしっこのシミがついてしまう、

〝ちょいシミ〟を防止するグッズもあった。

このちょいシミ、

ズボンの布地がグレーとかだったら最悪なのだ。


こんな些細な部分にまで気を配るなんて、

やっぱり、日本のものづくり精神って素晴らしい。

閑話休題!

『奇跡講座テキスト編』爆読みモードが続いている。

お前いったいどうしたんだ、というくらい、

奇跡講座を読むのがエクスタシーになりつつある。

以前、一度、冷やかし程度には読破しているので、

再度、初めから読み直すようなことはしないが、

仕事の合間や、電車に乗っている時や、夜ヒマな時に

ぱっ、と開いたところを重点的に読む。

すると、そのままずっと読み続けてしまう。

何しろ、文章の内容にいちいち〝きゅんきゅん〟し、

「あ、あっ、うおーっ、そ、うわあーっ!」と、

オーガズムに達しまくりな僕である。


↑こういうのも当分おあずけなのだ。

というわけで、今日考えさせられたのは、

聖霊からの答えはどういうふうに得られるのか、

という話である。


僕の場合、例えば、

今日の夕食は何がいいですか、と聖霊に訊き、

「カレーにしなさい。」と聖霊が答える訳ではない。

まるでコックリさんのように、どこかにいる聖霊から、

あれこれ指示が来るわけではないのだ。


「ああ、カレーが食べたい。」と、

内部から〝ふっ〟と上ってくる想いに従う。

いわば、上がってきた想いを自分のものとせず、、

聖霊の想いとして信頼し、

意味づけもせず素直に実行している。


僕たちは、基本的に、

自分の中から湧き出る想いを信頼できていない。

自分の考えなんて、どうせあてにはならない、

と無意識に思っていて、結果、ふと思った考えを、

外の何かで検証しようとする。

誰かが経験して根拠があるから、私の考えは正しい、

科学的に証明されているから、私のやり方は正しい、

または、権威ある専門家が言っているから正しい、

と、外の情報に当てはめて自分の考えに安心している。

あたかも、自分で決めてあれこれやっているようで、

実は、かなりの割合で〝本当の想い〟を曲げている。

スピをやっている人なら、自分はAかなと思っても、

バシャールがBと言えば、無意識のうちにAを否定し

Bのほうへと考えを寄せて行ったり…。

それも、0.001秒くらいの速さでやる。


冒頭で述べたように、聖霊の答えは、

自分の中から、まるで〝自分の想い〟のように、

〝ふっ〟とやってくるものなので、

聖霊を信頼するということは、ある意味、

自分の〝ふっ〟を信じることでもある。


結果的に、

自分の〝ふっ〟がエゴだったとしても構わない。

まずは自分の〝ふっ〟を信頼して委ねてみる。


聖霊と一体となった〝無自我〟の状態と、

何かに依存した〝無個人〟の状態は、

全くの別物なのだ。


↑APITAでやっていた昭和フェア。
 ビミョー。


しかし、そんな偉そうなことを言っている自分も、

奇跡講座に書いてある事を信じて実践している訳で、

外部のものに依存している、と言われれば、

確かにそうかもしれない。

ただ、僕は自分の中から出てくる〝ふっ〟に従った。

「なんかこれ、真実かも…。」と、

内部からくる衝動に素直に従ってみたのだ。

だから、この奇跡講座が結果的に大失敗だった、

としても、まったく後悔はしないだろう。

なぜなら、それは、

他者を主体にして決めたことではないからだ。


エゴは時として、

他者を通じて語りかけてくる。