香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

「わたし」 じゃない〝わたし〟について


↑佛山の日本料理店で見た微妙な日本語のメニュー。
 みなさんはいくつ読めるだろうか。
 

佛山での会合を終え、月曜の午後に香港へ戻った。

会合の間は、時に、誰々さんの処遇について語り、

時に、誰々さんが行なった失敗と見えることについて

話し合い、時に、思っているのと違う事を述べながら、

いま起きている〝すでに取り消されている世界〟を、

すでに取り消されているものとして見つめ続けた。


香港へ戻る船の中でぼーっとしていると、

遠い昔に、本当に為されたと思っている、

恥ずかしい記憶や腹立たしい記憶や妄想の数々が、

次々と去来しては過ぎてゆく。

その時ふと、自分ってどこにいるんだろう、と思った。

ただの〝記憶と妄想〟だけでできた自分、

こんなのが自分なのだろうか。

じゃあ、その想いはどこから出ているのだろう。

出所はどこにもない。

ただひとつの拠り所である肉体のどこを探しても、

その想いの出所は見つからない。

本当は自分なんてどこにもいないんじゃないのか。

これが自分だというふうに思い込まされている。


そう思ったとき、なぜかとても平安な気持ちになった。

自分や兄弟はそんなちっぽけな存在ではなかった。

自分は天国の住人で、父に愛される神の子だ。


父は審判は下してはいなかった。

真の敵は、宇宙を攻撃する怯えたネズミの方である。


実体のない自分にできることは何もない。

ただ、解体されることを受け入れるだけである。

そして、解体と引き換えに与えられるものは、

永遠のエクスタシーと愛だ。


なので、もともと〝わたしではないわたし〟は、

はなから、何もするす必要などなかったのだ、

と気づいた。


それは、

わたしではないわたし、または、兄弟ではない兄弟が

誰かの悪口を言っていても、憎悪を露わにしても、

金儲けに奔走していても、肉体改造をしていても、

それに対して云々する必要などない、ということだ。

ただそれを見つめるだけ、それが唯一の仕事である。

気になったので、鞄から奇跡講座を引っ張り出し、

念のために〝私は何をする必要もない〟の項を

再読してみた。


〝今あなたに必要なことは、自分は何もする必要が

ないということを思い出すことだけである。〟


そうか…。

思い出すことだけでよかったんだ。

誰も、一言も、

〝何もするな〟とは言っていなかった。


私ではない私が夢の世界で何をやったとしても、

それに対して何もする必要がない、

ということを思い出すだけであるということなのだ。


こうして今日も、肉体改造へ向かおうとしたところ、

トレーナーからLINEが入っていた。

見れば、現在台風が近づいているので、

今日のトレは中止します、というメッセージだった。


ええっ、全然知らなかった。


見れば、ケリーもユイも帰り支度をしている。

仕事に集中しすぎていて気づかなかった。