香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

居候するなら家賃を払え!



とうとう、

スラックスがぶかぶかになりすぎて穿けなくなった。

歩いているとワイシャツの裾がすぐ飛び出てしまう。

かといって、ベルトをきつく締めれば、

ウェストに皺が寄り、とてもみっともなく見えてしまう。

で、今日仕事帰りに新しいスラックスを買いに行った。

28インチ(71㎝)でもまだ少しゆるい。

お、恐るべし、夏至の波動!(←そっちかいっ!)


このことをトレーナーに話すと、

古いスラックスは今すぐ捨ててください、と言われた。

いつかまた穿くときがくる、と取っておいたら、

100%、必ず、再び穿くハメになるからだという。


よし、夏至も終わったばかりだし、

今回の、これまでにない凄まじい夏至の波動の中で、

変わりたくないと掴んできたものを手放してゆこう。

というわけで、手始めは机の中からだ。

僕は案外モノをため込まず、靴でも服でも書籍でも、

何の躊躇もなく、ホイホイ捨ててゆくタイプなのだが、

なぜか、机の中だけはいつもぐっちゃぐちゃである。

パソコンのケーブル、古い書類、インクの出ないペン、

壊れたウェブカメラ、わけのわからない小銭類、と、

いろんなガラクタが詰め込まれている。


部屋はその人の心の象徴だと言うが、僕の場合、

おおむね明け渡して片付いてはいるが、

ある部分には、まだため込んでいる自我がある、

ということか。


で、全部手放した。(別名〝捨てる〟とも言う)


その後も、

パソコンの中でぐちゃぐちゃに並べられてあった

ファイルやフォルダ―を削除しまくり、

ケータイの中の二度と見ないであろう写真や動画、

台所に溜まったスーパーの袋の束などを捨てつつ、

〝使えるのに捨てたらもったいない。

  食べ物を捨てるのは後ろめたい。〟など、

出てくる無意識の罪悪感をひとつひとつ認識しながら

次々と手放していった。


香港はゴミの分別を一切しなくてよく、

決まったゴミ出しの日もない。生ごみでも、家電でも、

いつでも各階にあるゴミ箱に捨てとけばいいので、

その点は、すぐに家からゴミが無くなり、便利である。

もし、香港や中国で、

日本のように決まった日にしかゴミを出せなかったり、

分別をして出さなければならなかったとしたら、

多分、山や川や道路はゴミだらけになっているだろう。


ついでに、人も手放す。もちろん心の中で、である。

と言っても、最近は、相手の方からいなくなるので、

苦手な人や、気になる人はほとんどいないのだが、

それでも、過去の記憶の中から、

ふっ、と意識に立ち顕れて来たりする人を捉え、

〝はい、さようなら、じゃあね!〟と、

消えてゆく姿として赦し、観察し、手放していく。

話は変わって、最近、家の中に虫が多く出現する。

うちは裏が森になっており、三階ということもあって、

夏に虫が多く入ってくるのは当然なのだが、

例年になく、今年は少し多いような気がする。

それも、以前はクモやゲジゲジの類が多かったが、

近ごろは、蜜蜂、蝶々、アブ、カミキリムシ、玉虫、など

シュシュ雑多な虫たちが家の中をうろちょろしている。

先日は緑色のトカゲが這っていてぎょっとなった。

熱帯地方によくいる、ギザギザのついた、あれだ。

そのときは、さすがに思わず、

「おい、お前ら、ええ加減にせえよ!家賃払えっ!」

と、ひとり大声で怒鳴ってしまった。

でも、別になにかしてくるわけではないので、

まあ、いっか、と、彼らの好きにさせている。


それにしても、不思議なものだ。

彼らは、昔も今も、同じような様相で、

同じようにただ床や壁を這っているだけなのに、

以前は、ぎゃーぎゃー叫んで殺虫剤を取りに走り、

いまは、やあ、こんにちは、と挨拶したりしている。

見方によって、恐怖になったり、平安になったり、

敵になったり、友達になったりする。


そういうわけで、今週は出張もなく、

香港で都会の会社員生活を満喫している。