きた!きた!きた!きた!
ワイドショーはやっぱりこうでなくっちゃ!
自分と全く関係のない他人の怒りを見ることほど、
楽しいものはないのである。
「ち・が・う・だ・ろォーッ!このハゲーッ!」 と、
いまどき、こんなに分かりやすい怒りも珍しい。
ワイドショーのコメンテーターたちは、
彼女がこんな性格になってしまった原因を、
東大卒→エリート官僚→ハーバード留学→国会議員、
と、超エリートで挫折を経験していないため、
失敗する人の気持ちが分からないのだ、とか、
ずっと、みんなから尊敬されてきたから、
人を見下すことが当たり前になっている、とか、
まあ、色々と言っているが、僕は違うと見た。
なぜなら、超エリートの人って、自分に自信がある分、
人にはすっごく優しいと思うからだ。
あくまでも、これは僕の勝手な憶測にすぎないが、
きっと、彼女は小さいころから、
ちょっとミスをしただけでも、父親か母親から、
お前、生きてる価値ないよ、と、罵られてきたのだ。
たぶん、テストで99点でも叱られていたのだろう。
彼女の赤ちゃん言葉の罵り方は、恐らく彼女の母親が、
幼少の彼女を叱るときに使っていた口調を、
知らず知らずのうちに真似たものなのかもしれない。
本来は規則で入場できない母親を園遊会に連れてゆき、
屁理屈を並べて強行突破したのも、根底には、
そういう母親への後ろめたさがあったと推測される。
要するに、彼女は一度も満たされたことも、
平安であったことも、なかったのだ。
↑最近お弁当持参するようになった。
というわけで、彼女の怒りの元ネタの話である。
これもやはり、ひとつの怒りから来ている。
秘書が道を間違えたから彼女が怒ったのではない。
彼女の怒りが、秘書に道を間違えさせたのだ。
彼女は自分の運子ちゃんを、身近な秘書にぶつけ、
♪この怒りは私が原因じゃありませーん。
ぜんぶ、あなたがわるいんでちゅーっ!♪
(エロ詩吟の天津木村風)とやっていたに過ぎない。
こういう、テレビで報道されるような事件を見ると、
「自分には関係ない。興味ない。どうでもいいね。」
と斜に構える人がでてくるが、
どうでもよければ、報道自体を見ないわけで、
たとえ見ていても、ショーむない、興味ない、
という言葉すら出てこないはずである。
だから、豊田議員の怒りを見て、
興味なし、と思ってしまったということは、
自分の中にも同じ怒りがある、ということである。
「いいや。自分は他人にあんな態度はとらない。
怒ることはあっても、あそこまでではない。」
と反論するかもしれない。
いやいやいやいや!あそこ以上なんだって…!
たまたま阿蘇ではなく桜島が噴火しました、
と言っているのと同様、
みんなで共有しているひとつの怒りが、たまたま、
豊田議員のところに噴出しているだけなのだ。
その証拠に、各自の心の中にある秘密の場所では、
もっと、もっと、酷いことをやっているではないか。
そういう、個人レベルで密かにやっている、
怒りの妄想劇が集約され、
たまたま豊田議員のところで大噴出しているのだ。
かつて、彼女の母親が、
今回彼女が秘書を怒ったのと同じような口調で、
幼少期の彼女を叱っていたとか、
彼女の父親が、母親にDVをしていたとか、
議員先生になって調子に乗っていたとか、
さまざまな事が取りざたされているが、
本当はそんなことが原因なのではない。
聖霊兄貴の、終わらせてゆく目線で観れば、
これは僕らの怒りであり、兄弟である彼女が、
代表で差し出してくれている赦しのレッスンなのだ。
冒頭で、自分に関係のない怒りほど楽しいものはない
と書いたが、カラクリはそこにある。
僕たちは、自分の怒り(運子ちゃん)を他人にぶつけ、
「これはあの人がやっていることでーす。
なので、私にはいっさい関係ありませーん。
悪いのは私ではありませーん。あの人でーす。
自分に関係ないので、平気で見てられまーす!」
とやっている。
だから〝よそで起きる事件〟は楽しいのだ。
ノー、である。
それをやっている限り、終われない。
どうせ自分の番が回ってくるのだ。
だから、
豊田議員が見せてくれているものを自分の中に見、
ちゃんと直視して、赦してゆく。
そんな怒りはもとから無かった。
僕たちは騙されている。これ、全部ウソなのだ、と…。
兄弟である豊田議員が真に癒されますように、
と祈る。
自分達はもともとひとつの神の子であり、
共に父の待つ故郷へと帰ってゆく大切な存在なのだ。
「関係ない。興味ない。どうでもいい。」
どころではなく、おおいに関係あり、なのだ。
なので、テレビの前で、お茶を飲みながら、
ラクして取り消せるうちに赦しておこう、
と思う今日この頃である。