香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

とっさに逃げる



香港も気温が17度まで下がり、

冬が来たぞーっ、とばかりに、

ダウンジャケットやコートを着こんだ香港人たちが

通りをバッコする中、ようやく秋がきたぞーっ、と、

長袖ワイシャツ一枚で通勤している僕である。

それにしても、

たかが17度くらいで寒い寒いと大騒ぎするくせに、

部屋の中では冷房をつけているのだから、

ホントこの人たち、わけがわからない。

というわけで、

先週の金曜日、友人の誕生日を祝うために、

ワンポア地区にあるケリーホテルを訪れた。

ここは今年4月にオープンしたばかりのホテルで、

その中に入っている『紅糖(Red Sugar)』

という中華レストラン&テラスバーで食事をした。

料理も、サービスも、景色も、本当に素晴らしかった。

これまでは、薄味でやたら甘ったるい、

広東料理があまり好きではなかったのだが、

生まれて初めて広東料理を美味いと思った。

(最近このフレーズが多い気がする。)

一皿、最低でも3,000円はする高級店のため、

お客さんも、ちょっと年配のセレブっぽい人が多い。

食後、テラスに出てワインを飲んだ。

そして、このテラスからの展望がまた素晴らしいのだ。

香港の夜景スポットはいくつもあるが、

大体は対岸の建物への距離が近すぎて、

全体を見渡せないところが多い。

しかしここは、香港島のほぼ全景を見渡せるのだ。

写真に収めきれないのがとても残念であるが、

実物はもっとド迫力の大パノラマで、

もう何度「うわあ!きれいーっ!」を連呼したことか。

室外用のストーブが焚かれているので、

冬でもポカポカと暖かい。

こんな感じのチョーハッピーな週末の夜を過ごし、

らんららーん、とほろ酔い気分で家へ戻った。

テレビで日馬富士の暴行事件をやっていたので、

それを何気なく見ていると、急激な睡魔に襲われた。

ベッドに入り、しばらく経った頃、

近くに人の気配を感じて目を覚ました。

その時僕は、壁に向かって横向きに寝ていたのだが、

背後から誰かが僕の布団をひぱっている。

なに?お化け?それとも、夢を見ているのか?

僕は布団を持っていかれないよう、目を閉じたまま、

必死にシーツの裾を掴んで抵抗した。

途中から、その正体を見てみたい気もして、

寝返りを打とうとしたが、見てしまったらおしまいだ、

という恐怖も出てきて躊躇していると、

再度、ぐいいいー、と布団が引かれたので、

慌てて布団を中から押えながら、

反射的に「悪魔よ去れ!」と、心の中で叫んだ。


ひゅっ、と気配が消えた。

寝返りを打ってみた。誰もいなかった。

そして、その後、なぜだかわからないのだが、

ちょっと寂しいような、残念なような、後悔のような、

何とも言えない切ない気持ちに襲われたのだ。


そういえば、以前にも同じような事があった。

あれは、僕がまだ、スピには何の興味もなかった、

2007年ごろの話である。

ある平日の昼下がり、寝室でうたた寝をしていた。

窓からは西日が射し、部屋は少し蒸し暑かった。

そのときの僕は心から安らいでいた。

と、突然身体の奥から、きゅるるる、と、

エネルギーが渦をまくように湧き立ち、

どこまでも上昇していくような感覚に陥った。

全身の細胞が沸騰しはじめ、

何かに丸ごと持って行かれるような感じがした。


ああ、心地いいなあ、と思った次の瞬間、

だめだめだめ、このまま行ったら狂うかも、

という恐怖の想いが出てきた。


上昇しようとするエネルギーを力づくで抑え込み、

エイヤー、と全力で寝返りを打って起き上がった。

夕陽でオレンジ色に染まった部屋は静かだった。

カラスの鳴き声が聞こえてきた。

このときもまた、千載一遇のチャンスを逃したような、

とても残念な気持ちに陥った。

そして、気づいた。

ちょっとしたアクシデントや、思いもしない出来事など、

関知していなかったものが突然やってきて、

反射的に〝怖い-っ!〟と跳ねのけてしまうとき、

それって、実際には神を跳ねのけているのだ、と…。

布団を引っ張られたとき、

心の中で〝悪魔よ去れ!〟と叫んでいたが、

本当は〝神よ去れ!〟と叫んでいたのだった。

自分が〝怖いっ!〟と思っているのは、

悪魔ではなく、神だった、というわけである。


お金が無くなったらどうしよう、嫌われたらどうしよう、

負けたらどうしよう、病気になったらどうしよう、など、

これぜーんぶ、父がいなくなったらどうしよう、

父に嫌われたらどうしよう、父に負けたらどうしよう、

父に罰せられたらどうしよう、の代替なのだ。


なのに、それをまるで、悪霊や悪い人たちによって、

自分がどうにかされてしまう、と知覚している。

問題はその〝歪められた神の子の知覚〟

のほうにある。


そういった勘違いの結果、以前の僕みたいに、

風水をやったり、占いに行ったり、お祓いを受けたり、

この道を通ると悪いことが起こる、と

勝手なジンクスを作ってゲン担ぎをしてみたり、

目に見えない力で不運を変えようと、

躍起になったりする。


そんな、小さな恐れの真相を見つめ、

真の智識と交換して下さい、とJ兄貴に委ねる。

もう自分を丸ごと、J兄貴に渡してしてしまう。


「そこに映る姿は真実ではないと知っているので、

 わたしはそれを見ない。」

(テキスト編 第4章-Ⅳ.こうである必要はない より)


もう、それしかできない。

そんな感じで、

少しずつ、少しずつ、正気に戻っていっている。