という言葉を目にしたとき、そういえば自分って、
ホントじっとしていないな、としみじみ思った。
例えば、
家でくつろいでいる時や、ボーっとしている時、
自分では、静かにじっとしていると思っているけれど、
途中、ふっ、と何かを思いつくたびに、
スマホに手を伸ばしたり、ネットを検索したり、
冷蔵庫へ飲み物を取りに行ったりしている。
そうして、いざ、静かに心の中を内観しようと、
ソファの上で目を閉じたりすると、突然、
背中が痒くなったり、トイレへ行きたくなったりする。
さっきも、静かに瞑想していた際、
たこ八郎って、まだ生きてるのかな、
と思うと、いてもたってもいられなくなり、
即行、ウィキを検索しにPCの前へ向かった。
まあ、一人暮らしの僕でさえそんな感じなので、
家族と一緒に住んでいたり、子供がいる人だと、
よほどの気概を持って臨まない限り、
静かにじっとしている時間を持つなんて至難の業、
だと推察する。
しかし、J兄貴を自分の心に招き入れようとすると、
自動反応的に活動しているエゴの活動を停止させ、
静かに、微動だにもしない一瞬が必要となってくる。
それは逃げ回る猫を捕まえようとする行為にも似て、
ちょこまかちょこまか、あれこれ用事をしながら、
思い立ったように〝あっ、聖霊!〟とやったところで、
外向きの心を兄貴はキャッチできないのだ。
なによりエゴは、
僕たちが静かになることを恐れている。
静かにじっとしていれば、本当の原因は心にあり、
分離は一度も起こっておらず、
故に僕たちは完全無欠で、戻る必要すらない、
ということに気づいてしまうからだ。
エゴなんて存在してなかった、なんてことを、
見抜かれたりしようものなら、
エゴはたちまち存続の危機に陥り、
もう死に物狂いで立ち向かってくるだろう。
そうならないために、スマホ、ゲーム、VR、と、
エゴは次々と秘密兵器を送り込んでくる。
だからと言って、
今さらスマホを放棄するのもナンだし、
エックタルトが言う、今の静寂にいる、ために、
座禅を毎日するのもナンだかなあ、なので、
僕の場合は、はっと聖霊を思い出したら、
とりあえず、物理的に身体を動かさないことにした。
一瞬、無理くり身体の動きを止めてしまうのである。
例えば、
会社の応接室で誰かと打ち合わせをしていて、
はっ、と、ここが〝聖霊で満たされた自分の心の中〟
であることを想い出した瞬間、とりあえず話を中断し、
ストップモーションのように一瞬じっと固まってみる。
そして、聖霊にフォーカスしてからまた続ける。
その間、1−2秒。
すると、ああ、そうだった、と我に返る。
数日やると、
だんだん〝聖霊がいっぱい状態〟が板についてくる。
それで、物理的に身体を動かしているときって、
だいたい無意識になってる、ということに気づいた。
これからは、じっとしている時間を大切にしよう、
と思った。
というわけで、先週、出張で東京へ行っていた。
今回は、日本航空である。
普段から、あのイケイケキャセイ航空の、
シャカシャカしたサービスに慣れているせいか、
JALのほんわかした雰囲気には本当に癒される。
荷物キャビネット争奪競争もなければ、
冷房効きすぎで寒さに震えることもない。
CAさんの所作も丁寧で、
ほら食え、的な機内食サービスもない。
久々に、八丁堀の東京本社に出勤した。
なんだか東京のサラリーマンになった気分。
昼から、社長や役員と面談をした。
そこで、本社帰任の打診を受けた。
例の女性課長が辞め、財務が回らなくなるため、
本社のほうを助けてほしい、ということだった。
それに、香港での僕の経費も削減したいらしい。
心の準備はできていた。
ただ今回は、肉体と自我をすべてJに委ねて臨もう、
と決めていたので、まずは話を全て聞いた上で、
〝ふっ〟と出てきた思いを言葉にすることにした。
それで〝ふっ〟と出てきたのが、
このまま香港で、再建に向けて頑張りたい、
というものだった。
詳しい内容は覚えていないのだが、
縮小縮小ばかりの仕事をするのは嫌だ、
みたいな事を言ってたように思う。
ただ、それまでは、東京での新たな暮らしに、
ちょっとワクワクしていたし、どこに部屋を借りよう、
とか、いろいろと思いを馳せていた。
しかし、
突いて出た言葉は、会社を何とかしたい、
そのために香港でまだやることがある、
みたいなことを熱弁していた。
気が付けば、本社勤務は〝保留〟となっていた。
「辞令を出して命令するのは簡単だけれど、
そんなことをしたところで、
君がやる気を出すとは思えないからねえ。」
と社長は言った。
こうやって、怒涛の本社出張は終わったのだが、
香港に残る残らない、ということよりも、
こういう〝心の中が投影された物語〟を使って、
心の中を赦してゆく、明け渡してゆくことで、
自分はエゴなんかではなく、完璧な神の子なんだ、
という自覚を芽生えさせていけることがうれしかった。
もうこれからは、
絶対に、絶対に、絶対に、神しか選択しない。
そのことを強く実感できた旅であった。
でも、東京は寒かった!