↑ スモッグに覆われた朝10時の上海。
PM2.5で100メートル先も見えない
〝自分が聖霊の目的に仕えるためには、
肉体は無罪と知覚されなければならない。
なぜなら、ゴールが無罪性だからである。
あなたは自分の肉体を、
ただ罪なき者の為だけに使うことで、
兄弟によって〝聖別〟されるだろう。
そして、あなたも兄弟も、
自分を攻撃する者がいると思っていたその場所に
自分の救済者を見るとき、解放される。〟
(『奇跡講座 テキスト編』二十二章のどこか)
※聖別:神聖な用にあてる為、物又は人を、一般的、
世俗的使用から引き離して区別すること。
この〝聖別〟と言う言葉、なんかカッコよくて好きだ。
目の前で、まるで〝有罪〟のように振る舞っている
兄弟の肉体に無実を差し出し、
その兄弟を自分の救済者として認識することで、
自分は兄弟から、聖なる神の子として聖別され、
解放される、という感じがあるから…。
聖別は、
神やどこかのマスターによって成されるのではなく、
眼前の兄弟によって成されるのだ。
ひとたび兄弟たちによって聖別されれば、
自分の肉体は聖霊の監督下に置かれ、
聖霊の目的を遂行するための全てを与えられる。
そうやって、これからの僕は、
これまでの慣れ親しんだ世界から〝聖別〟され、
聖霊の目的の為に動いてゆくのだろうなと思う。
↑ 本日の上海は雲一つない快晴、なのだが…。
話は変わって、赦し、と一言で言っても、
何を以って赦しとするかは人によって違うと思うのだが、
現時点の僕が赦しとしてやっているのは下記の5つだ。
1.やってくる全ての人や事に無罪だけを差し出す
2.兄弟がしていることに絶対の〝信〟を置く
3.自分が今、夢の中にいて、寝ている時に見る夢と
同様、何も起こってないことを観察しながら過ごす
4.今在る平安〝だけ〟に集中する
5.自分がやったこと、言ったこと、決めたことの一切を
受け容れ、どんなことがあっても絶対に咎めない
僕の場合、実際にできているかどうかは別として、
幻想の世界におけるどんな赦しのシーンにおいても、
大体、この5つのどれかに当てはまる。
しかしこれら〝5つのこと〟に共通して言えるのは、
それを「聖霊の中でやる」ということである。
僕の場合、聖霊を一個の人格の様には知覚しないので、
すでにここが神の子の中、聖霊の中として捉えられている。
それはやがて、天国、実相、聖霊、神を、
〝受け入れる〟〝受容する〟〝肯定する〟という、
〝ひとつのこと〟に収斂されてゆく。
〝5つのこと〟は、
僕に、計り知れないくらいの知覚の変化をもたらした。
その中で最も大きな知覚の変化は、恐れの消失だろう。
↑ 香港に戻って青空を見たとき、なぜかホッとした
僕は香港用と中国大陸用のスマホを2台所持している。
しかし、今回フィリピンから香港へ戻る飛行機の機内に、
中国大陸用のスマホを置き忘れてきてしまったのだ。
香港市内行きの列車の中でそのことに気づいて、
慌てて空港に戻り、キャセイパシフィック航空の
遺失物管理所へ駆け付けたが時すでに遅し、
当該機はすでに上海へと飛び立った後だった。
清掃部に問い合わせたが、遺失物は無かったという。
今回は慣れないビジネスクラスだったこともあり、
雑誌などが入っているラックにスマホを入れていた。
結局、上海に着き次第座席を調べてもらうことになった。
スマホを失くすということは、この現代社会に於いて、
恐怖以外の何物でもないはずなのだが、
キャセイ航空のスタッフに全面的な信を置き、
同時に、この夢の出来事を全面的に受け入れ、何より、
やっちゃった、と思っている自分を絶対に咎めない、
というスタンスでいると、もし、スマホが出てこなくても、
全ては無罪で何も起こっていない、と知覚できてくる。
↓ そう言えば以前もこんなことがありました ↓
ただ、中国出張の際は、WE CHATが使えなくなるので、
タクシーを呼んだり、買い物にはちょっと不便かな。
でも、中国用のスマホを失くしたということは、
なんだか中国を手放してしまったようにも思え、
ちょっと喪失感は出てきたが、
これも夢の姿として、消えてゆくのだろう。
↑ 上海のホテルの寝室の壁に掛かっていた絵。
改めて見ると、こ、怖いっ!怖すぎる!
で、あくる日の夜、そのことをふぁちゃんに伝えたら、
「なんで、すぐ失くしたケータイに電話しないのよ?」
と言われ、この時になって初めて、
自分のケータイを失くした時はとりあえず電話してみる
という方法があったことに気づいたのだった。
それで、慌てて電話してみたが、留守電になっていた。
電池がなくなったのか、それとも誰かにSIMを抜かれたのか、
昨日失くしたことを知った時点で電話していれば、
まだ間に合ったかも、と思ったところで後の祭りだった。
これはもう受け容れるしかない。
だって、失くしたその時、スマホに電話してみる、
という〝ふっ〟が起こらなかったんだもん…。
そのことに気づかなかった自分がダメなのでもなく、
ましてや、それは罪ではない。
よし、今夜は、紀平選手のトリプルアクセルでも見て、
たくさん元気をもらうことにしようっと。