香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

私は夢見る自動反応人形


↑この人たち、全員、ただ、自動的に反応しながら、
 プログラム通りにしゃべってるだけなんです。
 でも、みんな、自分で考えて、
 自分の言葉でしゃべってると思ってるんです。
 で、この人たち、全員夢の登場人物で、
 本当は存在すらしていなかったんです。
 そう、僕たちは幻覚を見ているんです。


先日、オフィスで日本人総経理と話していた時のこと。

位置的には、彼が立ち、僕はデスクに座っていた。

なので、僕からは、背の低いパーテーション越しに、

彼の胸から上だけが見えているという格好になる。


その時は、普通に業務上の会話をしていたのだが、

途中から、相手の顔がただの映像のように、

薄っぺらく見えはじめ、やがて声までもが、

ロボットのように機械的な音声として聞こえ出した。


このとき見えたのが、

〝私はこういう性格で、こういう声で、

こういう経歴の何がしという人間です。〟

という、その人特有の〝設定〟が起動し、

べちゃりと肉体の表面に顕われている姿だった。


そのラベルのように貼られた〝何がし設定〟は、

自分の中に隠しもっている邪悪な何かを、

他人に見せないために装着している仮面であり、

また、自己の心の奥に眠る本当の自分(聖性)を、

直視しないために置いている〝盾〟である、

ということに気づいた。


僕達はこれまで、

表面に浮き出している相手だけを見て、

それを本人の人格や個性だと思い込み、

傷つけられた、大好き、腹立つ、コノヤロー

と、延々やっている。

映画や小説、漫画本に至るまで、全て、

この自動反応的に立ち顕れては消えて行く、

〝上べのキャラ〟で無数の物語ができあがっている。


こんなものを本気で相手にしていたなんて…。

反応しまくって、犯罪まで起こしていたなんて…。

なんて無意味な…。

こんな〝自動反応式キャラ人間〟を相手にするのも、

また、

自分自身がそうであることにも、もううんざりだ、

と心底思った。


これまでは、設定キャラ人間が言うことを、

信じてはいなくても、一応、相手にはしてきた。

例えば、会社で「誰々さんは…。」的な話になっても

それなりに、話を合わせることはできたし、

業務上でなにか問題が起きても、

実際的な解決方法を会議で話し合い、対処はしてきた。

しかし、もう、それさえもいいや、と思ってしまった。

もう、面倒くさい。

〝夢見る自動反応人間〟が何を言ってきても、

一切相手にせず、無視する、と決めたのだ。


僕の場合、その実践の場は職場になると思うのだが、

今後は夢の中で起きる全てを夢として相手にしない。

この件はどうするべきか、あの件はどうなってるのか、

こうこうこうするべきだ、という同僚の言葉を、

真に受けず、それに対して何の行動も反応も行わない。

会社でこれをするのって、

すんごくドキドキハラハラもんだと思うのだが、

今の僕には、別にどうでもいい。


もちろん、

誰の言うことも聞かないとか、手抜きをする、とか、

フンッ、知〜らない、ということではない。

相手の言う事を無視したり、仕事の手を抜くこと自体、

すでに相手になってしまっていることになるからだ。

上手く言えないが、もうなんていうか、

流す、というか、関わらないというか、

いちいち深刻にならず、咎めず、放っておく。


↑「炭水化物の嵐!」という自動反応。

で、今日一日、そのように過ごした。

まあ、仕事をしているので、色々やり取りはあるが、

自動反応設定だ、と認識しながら放っておくと、

案外、物事は普通に流れ、消えて行く。


お昼、みんなでヤムチャへ行った。

まるで傍観者で、ほとんど会話はスルーだった。

無理に、実践のようにやっているのではなく、

自分の自動反応設定を一歩退かせていると、

これは本当の〝この人〟その人ではなく、

自動反応で設定どおりに動いているだけなんだ、

と認識できてくるので、反応する必要はないと解る。


ちょうど、テレビでドラマを見ているとき、

会話しているドラマの登場人物たちに反応し、

画面に向かって直接何かを話しかけても無駄だ、

ということを知っているのと同じである。


また、上手く説明できないのだが、

肉体の表面に貼り付いている0と1の設定キャラを

無視して信じないでいると、

「あれ、この表面キャラを取り去ってしまえば、

 奥に在るものはみんな同じじゃん。」

という感覚になり、どの人も、個性を超えた、

同一の意識のように見えてくる。


なんだか、面白くなってきた。