香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

あのころ



メーデーの日、愛秩序湾にある日系ヘアーサロンへ、

髪を切りに行ってきた。

以前は、

佛山へ出張した際に、ちゃちゃっと散髪していたが、

今はもう大陸に行くこともなくなったので、

香港の日本人スタイリストの方にお願いしている。


ここ、愛秩序灣には、漁船が停泊する埠頭があり、

僕も昔、この付近にアパートを借りて住んでいた。

そして、そのアパートの前を通りかかったとき、

何とも言えない懐かしさがこみ上げてきた。


当時、僕は香港大学で講師をしていて、

受け持っていた講義も、週にたった9コマだったので

授業の準備以外の時間は、

もっぱら近くのカフェで小説を書いて過ごしていた。

(※この時に書いた小説が後に台湾で出版された。)

また、2ヵ月にも及ぶ夏休みを利用して、

毎年ベトナムのハノイに語学留学をしたりしていた。

(※そこで怪しいハノイの宝石商佐藤氏と知り合った。)

いま思えば、何とも優雅な日々ではあったが、

貯金ができるほどの給料があるわけでもなく、

大学講師といっても、一年ごとの契約のため、

安定した職とはいいがたかった。


それに、それまでは日本の企業で、

管理職としてバリバリ働いていたこともあり、

自由な日々を過ごしながらも、心の中にはどこか、

日本の社会から取り残されたような、

企業人として積み上げてきたキャリアを失ったような、

何とも言えない焦燥感を感じていた。


そうこうしているうち、

来学期からは、博士課程を修了している先生しか、

講師として採用しませんという通知と共に、

僕の5年に及ぶ〝人生の夏休み〟は終わりを告げ、

新たに就職活動をすることになった。

しかし、その時期がちょうどリーマンショックと重なり、

僕の就活は困難を極めた。

中国語もできたし、管理のキャリアもあったので、

まあ何とかなるだろう、と、気楽に構えていたら、

面接どころか、書類選考も通らない、ていうか、

社員を募集している企業自体がない。


貯金も減ってゆくし、このままでは家賃も払えない。

人生最大の〝ドびゅんびゅん〟状態だったとき、

日本と台湾の出版社から出版の依頼を受けた。

人生の夏休み時代に書いた小説を持ち込んだところ

出版社が興味を示してくれたのだ。


本来なら、小躍りして喜んでいいはずなのに、

当時の僕は、それどころではない。

そんなことより、就職しなければ自分は破滅だ、

このままではホームレスだ、と思い込んでいる。


いま思えば、就職できなくさせていたのも、

聖霊兄貴の采配だった、と分かる。

なぜなら、当時の状況が、

今のわざとらしい状況と酷似しているからだ。

まあ、いまでこそ、ただ「はい!」と言って、

聖霊の方へ向いていればいいと解るが、当時の自分は、

あやこさんにも、バシャールにも、ハレ師匠にも、

兄弟てっちゃんにも、まだ出会っていなかった。

就職しないとぜーったいにダメだ、と決めつけている。


で、もういよいよ貯金もヤバい、という段になって、

一部上場メーカーのハノイ駐在員の職が決まり、

これでまたしばらくは〝自分〟でやってゆける(笑)

と、胸をなでおろした次第である。


そんな〝追憶〟に浸りながら、愛秩序湾を散策した。

今なら、これも消えてゆく姿であり、

起こってもいなかったと、笑い飛ばすこともできる。

しかし、振り返って見れば、自分のチカラでは、

にっちもさっちもいかなかったあの時代が、

僕を聖霊兄貴へ向かわせたのだと言える。

自分で、何をどうやっても、結果が出なかったり、

ほうぼう駆けずりまわって、万策が尽きた時に、

人って、人智を超えた何かに頼ろうとする。

あの頃、スピには何の興味もなかった僕が、

風水の先生を招いたり、マカオに住む、

江原さんみたいな霊能者を訪ねてみたり、

ネットで不思議系のサイトを検索してみたり、

いろいろやるようになった。

そこから、ユーチューブを見るようになり、

あやこさんやバシャールを知ったのだった。


そう言えば、昼でも夜でも、目を閉じれば、

明るい金色の光の海が見えるようになったのも、

ハノイに駐在していたときだった。


僕はまだ完全に神の方を向いている訳ではないが、

自分でやろうとしているその〝自分〟が、

そもそも自分ではなかった、ということを知り、

〝もういいです。全部明け渡します。お願いします〟

状態になりつつある。


とまあ、そんな感じで、

ヘアースタイリストの方に全てを明け渡した結果、

0.8ミリのバリカンで、

ギンギンに刈り上げられてしまった僕であった。