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先週の上海出張は、たった二泊三日の旅だったが、
数々の気づきと覚悟を、僕にもたらしてくれた
特に〝聖なる瞬間〟について多くを学んだ。
それは、
全ての自分が陥っている居心地の悪い状況において
毎回毎瞬、相手から聖なる瞬間を差し出されていた、
ということである。
税務担当官の態度にしろ、一年前に解雇となった、
上海事務所の女性事務員との一連の出来事にしろ、
街ゆく人々とのちょっとしたトラブルにしろ、
全ては、これを聖なる瞬間に変えて夢から脱出しろ、
という兄弟たちから差し出された愛に他ならなかった。
絶対に許せないと思える憎悪の対象から、
日常で体験するちょっとした不快な出来事まで、
僕たちは日々、兄弟たちと様々に関わり合っている。
サービス業の人なら、お客さんからの理不尽な要求、
営業マンなら、ちょっと苦手な得意先の社長、
お母さんなら、思春期の子供から吐かれる暴言など、
それらの兄弟との関わり合いを赦すことで、
それが聖なる瞬間に変わり、設定が取り消され、
やがては、今ここに存在している天国を露呈させる。
要するに、
兄弟たちとの関係を聖なる瞬間に変えるか否かは、
すべて自分の意志にかかっている。
↑深夜の上海を酔っぱらいながら徘徊する
それから、今回の上海出張では、
もうひとつ、考えさせられたことがある。
それは、すでに完璧で無辜である神の子の自分を、
これ以上誤魔化して生きない、ということである。
この夢の世界の設定では、僕は会社員である。
所属する企業の利益を追求することが求められる。
それに応えることによって、相応の報酬を得ている。
神の子の自覚が深まる以前の自分であれば、
所属する企業の莫大な資金と人材を使いながら、
様々なプロジェクトを遂行してゆくことが楽しく、
そこに存在価値も見出していた。
ただ、その中で造られる兄弟たちとの関係には、
〝利害〟というものが終始ついて回ることになる。
あの面談をした怖い税務官も、税務官でなければ、
ただの気のいいおじさんだったかもしれないし、
僕が海外統括部長でなければ、
上海事務所の女性事務員を解雇する必要もなく、
よい友となれていたかもしれない。
「企業組織はエゴそのものである。」
という事実に僕はうまく蓋をし、
まあその時が来たら聖霊が導いてくれるだろう、と、
巧みに隠蔽しながら、ここまで来たのだった。
しかし、
世界が幻想であることが明らかに腑に落ちている今、
天国が、ここにまざまざと見えてしまっている今、
自分は神の子で神が父であると自覚している今、
誰も何もしていないことに気づいてしまっている今、
もうこれ以上、もともと起こっていないことを、
さも、大事件のように扱って生きていくことが、
アホらしく思えてきている。
そうやって、
無限の力を持つ神の子として生きる〝覚悟〟が、
僕の中でいよいよリアルになりつつある。
しかし、
一瞥体験により一瞬で悟りました、とかではなく、
一歩一歩着実に僕をここまで連れてきてくれた
兄弟たちと聖霊兄貴には、本当に感謝しかない。
そうそう。一瞥体験と言えば、ここ数日、
もう少しで何かが解かりそう、というか、
なんか、胸がざわざわして妙に落ち着かない。
なんだろう?秋分の日だから?