香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

一瞥体験



先週土曜日の朝、ついに〝あれ〟が来てしまった。

(↑ 生理ではない)


久々にジムで自主トレでもするか、と、

ソファから身を起こした瞬間、

〝自分はいない〟という強烈な体験が起こったのだ。


どこを探しても〝自分〟がいない。

サイダーの瓶の底から立ち上る泡の筋のように、

ただ、思考だけが起こっている。

あれ?なにこれ?自分は?言葉が出ない。慌てた。


僕たちは普段、

湧き起こっては消えてゆく雲のように、

様々な〝個の想い〟や事象が〝ふっ〟と、

湧いては消え、湧いては消え、しているのだが、

その想いを視ている主体がどこにも見つけられない。

もちろん、悩んだり、憎悪したり、歓んだりしている

誰かも存在しない。ただ〝それ〟が在るだけ。


〝わたし〟がいないっ!

湧き上がってくる〝これ〟しかないっ!

自分がいない、と気づいている何かも

ただの〝ふっ〟の顕われでしかなかった。〟


なんじゃ-こりゃああー!と叫んでみるが、

それもまた、表れでしかない。


とまあ、そのときの体験を、後に文章で書けば、

こんな感じになるのだろうが、その時は、ただ一瞬で

個のわたしが抜け落ちた状態に陥ってしまった。

それからしばし 「へ?」 という感じで、

みぞおちや、頭や、果ては、意識感覚の中など、

必死で〝わたし〟を探しまくるのだが、どうやっても、

わたしという実態を見つけられないのだった。


ただ〝想い〟が何の脈絡もなく湧いてきては消え、

それを捉えている〝わたし〟もいない!

敢えて言うなら、そのわたしも〝これ〟でしかない。


そして、

わたしがないという事実の中に完全に入った時、

自我も、罪悪も、赦すべき誰かも、もとから無かった、

ということが眼前で、びろ〜ンと開陳され、脱力した。


〝ひとつの解かってる意識〟だけしかないじゃん!

 ここは〝眠れる神の子〟が見ている夢の中じゃん!

 全体でひとつの夢をぐわんぐわんと起こしている。


「へ? これだけだったの?」

そう思った途端、笑いが止まらなくなった。


そもそも、赦している自分もいなければ、

赦すべき誰かなんてどこにも存在していなかった。


〝全体であるもの〟が全体でやっている。

それは〝眠れる神の子の心〟だ。

ハートを使ってへんてこりんな夢を奏でているが、

そこは〝眠っても神の子〟。ストーリーは完璧だ。


いや、もうこれ以上、言葉で表現するのは無理だ。

もう、苦しみはない。

苦しむ自分は、もとから存在すらしていなかった。

過去もない。

過去だと思い込んでいる経験が〝いま〟、

〝ふっ〟と上がってきているだけである。

もう、探求することもない。

この自分が空っぽなのに、誰が探求するのか、

それに、もうここに全部〝ある〟し…。


これらのことは全部、頭では知っていた。

しかし、今回の体験はあまりにリアルで揺るぎなく、

文字にしたり、語ったりするのは絶対に不可能だ。


ただ、今回起きた体験に続きがあるとするならば、

眠れる神の子は、やがては夢見を終え、

〝神〟(父)が住む故郷へ必ず帰還する、

ということである。