香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

表現して出す

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昨日、久々に、トレーナーのもとで筋トレをした。

 

僕のメニューは、とにかく高重量を挙げまくる、というもので

 

120キロのバーバルを肩に担いでスクワットをしたり、

 

100キロのダンベルでチェストプレスをする。

 

もう、これ以上は無理、と思ってからも、

 

トレーナーの補助で、もう3回ほど挙げさせられる。

 

 

「そのまま倒れても、僕が補助するから大丈夫」

 

「まだやめろと言ってない。弱音を吐かないっ!」

 

「限界を自分で決めない。僕が挙がるって言ったら挙がる」

 

と、吐くほど辛い僕に、トレーナーが激を飛ばす。

 

 

筋肉をつけるには、先ず、その部位に高負荷をかけて、

 

筋肉繊維を破壊させる必要がある。

 

その壊れた筋肉繊維が修復される際に、筋肥大が起こり、

 

筋肉量が増え、脂肪が燃焼する。

 

 

赦しの実践も、筋トレに似ている。

 

聖霊は、ある程度の負荷(葛藤や苦しみ)を与えることで、

 

心の位置(真に選び変える場所)まで僕達を戻そうとする。

 

自我モードで見れば、葛藤や苦しみは、回避するもの、

 

または、乗り越えるもの、として捉えられるが、

 

聖霊モードで見れば、それは聖霊トレーナーが差し出す

 

故郷へ戻ってゆくためのトレーニングメニューとなる。

 

なので、何かの葛藤や苦しみが起きた時、

 

聖霊は、その現実を神へと戻ってゆくために使う。

 

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↑ 今日の赦しはコレ 

 

これは、僕自身の〝コースあるある〟なのだが、

 

コース兄弟に葛藤や苦しみが起きる状況のひとつとして、

 

思っていることを言っちゃったが為に、葛藤でびゅんびゅん

 

というのがある。

 

 

例を挙げると、

 

先日、プロテインやいろいろなサプリを売っている店で、

 

プロテインバーを5本買った。

 

だが、後でレシートを見てみると、6本購入になっている。

 

即行、店へと引き返し、一本分多く支払ったので、

 

その分を返金してくれ、とカウンターの兄ちゃんに言ったら、

 

店の規則で、返金は一切できないが、その代わり、

 

多く支払った分のプロテインバーを差し上げます、という。

 

兄ちゃんの言うことを全て受け入れるか、それとも、

 

ちゃんと主張をして返金をしてもらうか、一瞬、迷った。

 

が、僕は後者を選んだ。

 

「これは計算ミスをした店側の責任ですよね。

 

   なのにどうして返金してもらえないのですか

 

   僕は5本しかプロテインバーは必要ない。

 

   だから、ちゃんと返金してください。」

 

凄い目をしてスタッフの兄ちゃんに言ったら、

 

びびった兄ちゃんは、即座に返金してくれた。

 

 

多分、コースも何もしていない普通の兄弟であれば、

 

それで一件落着、となるのだろうが、

 

これがコース兄弟となると、そうはいかない。

 

兄弟を咎めてしまった(神を咎めてしまった)という、

 

罪悪感から来る葛藤を直視することとなる。

 

 

また、他のコース兄弟が、

 

こんなやり取りをしているのを目の当たりにしたら、

 

「バリバリ咎めてるやん!」と思ってしまうのだろうが、

 

僕の場合、その葛藤を浮上させるために、敢えて、

 

兄弟に対して「それはおかしい。」と思っていることを、

 

きちんと表現する。

 

それで、出てきたびゅんびゅんを赦してゆく。

 

 

なぜなら、

 

「こんなことを言えば、兄弟を咎めることになるので、

 

 何も言わずにただ受け入れ、心の中で兄弟を赦そう。」

 

と、思った時点ですでに咎めているので、

 

言っても、黙ってても、結局は同じなのだ。

 

それであれば、その時、兄弟に対して感じた葛藤を、

 

キチンと相手に伝え、その結果、上がってきたものを、

 

赦していくほうが、僕の場合は手っ取り早い。

 

 

ただ、葛藤からくる怒りを兄弟に伝える際に、

 

僕自ら注意していることは、

 

兄弟に100%の信を置いて内部の葛藤を表現する、

 

赦しを完結させるために出す、ということであり、

 

決して、相手を攻撃するために主張するのではない、

 

という点だ。

 

ここだけは、聖霊と一緒にちゃんと観ている。

 

 

要するに、咎めない、裁かない、というのは、

 

先ず、咎めている自分をキチンと認め、

 

そこから出てくる気持ち悪いものを、

 

直視することから始まる。

 

そうやって、忘却の心の中でやっていることを、

 

表へだすことで、 自然と聖霊へ選び変えてゆく。

 

 

というわけで、明日からフィリピンだというのに、

 

今日は、筋肉痛で階段も登れない。