香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

会社いろいろ

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↑ 実家近くの河原に張られた鯉のぼりの行列

 

あるリーマン兄弟から、

 

会社での赦し(笑)について訊かれたので、

 

今日は〝幻想としての会社〟について書いてみる。

 

 

なぜか、僕の今回の幻想の設定では、

 

〝会社員、時々物書き〟ということになっているのだが、

 

精神世界(スピリチュアル)大好きな人から見れば、

 

自由のない会社勤めほど苦痛なものはなく、

 

愛や平安から遠いものは無いと思われているようだ。

 

僕がこれまで知り合ったコース兄弟たちの中でも、

 

普通に〝オツトメ〟している人は皆無に等しかった。

 

 

しかし、今回の僕に於いては、会社員であることが、

 

平安のなかで、安定して赦しを実践してゆける、

 

最もベストな設定であったことに、最近気づいた。

 

 

まあ、会社といってもブラック企業など色々あるらしいが、

 

僕の会社に限って言えば、かなりちゃんとしている。

 

社内は上下の区別なくみんな敬語で話しているし、

 

性格にクセのある人もいない(ていうか、いなくなった)。

 

休みを取らないと注意され、

 

ボーナスも年に三回、ちゃんと出る。

 

僕ら香港駐在員は、アパートの家賃をはじめ、

 

年2回の一時帰国の費用や、年14日の特別休暇、

 

その他、医療費、ケータイ費用、家の光熱費、など、

 

全部会社が負担してくれている。

 

そういう意味で、組織に護られている感は半端ない。

 

 

若い頃は、この護られ感がすごく窮屈で、

 

自由を制限されているように感じて、とても嫌だった。

 

それでも、ある程度の役職につくと、香港に駐在し、

 

予定を自分で立て、会社の経費を使って、

 

自由に海外を飛び回ることができるようになった。

 

なので、忙しい毎日を送っていても、それは全て、

 

自分でスケジューリングして行動していることなので、

 

仕事を押し付けられているような感覚はない。

 

逆に、僕が業務上の何かでテンパっていると、

 

エドワードや元コンババ部長が、冷静な目で、

 

そんなことないよ、と、訂正を促してくれたりする。

 

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だが、数年前の記事を読んでいただくと分かると思うが、

 

初めからそうだったわけではない。

 

決して、外を変えるために赦しをするのではないけれど

 

心の中は全て外界に投影されているので、外の環境は、

 

自分が正しい心を選択できているかを判断する、

 

ひとつの指針(バロメーター)になると思うのだ。

 

 

また、実践上、会社勤めがメリットになることもある。

 

例えば、家庭の主婦なら、あの人に会いたくないなあ、

 

と思えば会わずに済むし、夫にムカついていたら、

 

一緒にいても、フンッ、と無視していられる。

 

要するに、いくらでも避けることが可能なのだ。

 

しかし、これが会社となると、そうはいかない。

 

顔も見たくない大嫌いな〝アイツ〟は、

 

一日中、自分のデスクの向かいに座っているし、

 

嫌な仕事を避け、好きな仕事だけする訳にもいかない。

 

そういう意味で会社は、逃げ場のない終了道場であり、

 

心が何を信じているかを〝強制的〟に直視させられる、

 

もっとも手取早い、赦しの場所となる。

 

 

それに、こんな事を言ったらナンなのだが、

 

個人的な問題や、私的な苦しみからは、

 

そう簡単に逃れることはできないが、

 

会社の中での葛藤や苦しみは、会社を辞めれば終わる。

 

こりゃだめだ、と思ったら退職すればいいだけの話だ。

 

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しかし、

 

最後にひとつ言っておかねばならない重要なことは、

 

本当は会社などというものは実存もしていないし、

 

その中では何も起こっていない、という事実である。

 

その事実を認識するために、

 

無いものに動揺している自分の心の中を直視し、

 

聖霊のもとへ運ぶのである。

 

 

とまあ、そんな感じで、

 

もし、組織の中で赦しを実践している兄弟がいるのなら、

 

会社ほど分かり易く、しかも、真正面からストレートに、

 

自分の心の中の自我を見せられる場はそうそう無く、

 

ある意味、これほどオイシイ赦しの場所はないので、

 

ぜひ、こんな僕を励みにして、頑張っていただきたい。

 

 

というわけで、今日は土曜日、久々にジムへ行った。

 

ジムのラウンジで、コーヒーを飲みながら、

 

ゲイリーの4冊目『イエスとブッタが…』を読む。

 

JとBが共に生きた生を綴ったもので、

 

読み物として、非常に面白く、楽しめた。

 

 

今回は、ティケリー、ちゃんと翻訳してる。

 

あのデイヴィッドの本の誤訳の嵐は何だったのか…。

 

 

↓ ティケリー関係の赦しは下記を参照 ↓

blog.hoshitani-shusaku.com

 

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