今日の香港の気温は36度。
今月は出張の嵐で出ずっぱりだったため、この週末は、
ガンガンにエアコンをかけ、家でお籠りをして過ごした。
ヤマト運輸の人が古い段ボールを届けてくれたので、
引越しも近いし、午後から思い切って断捨離を決行する。
古い靴、医者から貰った薬の数々、大量のペンや袋、
VHSのビデオデッキ、DVD、二度と読まない書籍、
食器、衣服、冷蔵庫の中身、訳の分らない紙類、など、
捨てて、捨てて、捨てまくる。
この本は読まないけれど、もう手に入らないし、とか、
流行遅れで着れないけど、好きなスーツだし、とか、
そういうのも、どんどん段ボールに放り込んでゆく。
なんだか、自分の心の中の大掃除をしているみたい。
結局、段ボール7箱まで詰めたところで疲れてきて、
残りはまた来週、となった。
香港では、ごみの分別がないため、どんなゴミでも、
それぞれの階にある非常階段の踊り場に置いておけば、
アパートの掃除のおばちゃんが毎日持って行ってくれる。
段ボールや衣服や電器類は廃品回収に売れるので、
掃除のおばちゃんたちの臨時収入源になっているのだ。
夜は奇跡講座の中国語版テキストを読んで過ごした。
日本語版は二回読んでいるのだが、断捨離の途中で、
中文版の奇跡講座を見つけ、改めて読んでみた。
中国語版は何しろ文字数が少ないので速く読める。
「私はあなたを愛しています」と言うのに、日本語なら
12文字必要だが中国語なら「我愛你」の三文字で済む。
で、たまたまページを開いて読んだのが、
〝狂った夢〟について書かれているところだった。
ほんとうに、罪悪の夢は狂っている、と思う。
夢の映像のあらゆることを恐れなさい、
こういう状況にになったら怒らなければならない、
病気になったら全力で肉体を治そうとするべきだ、
他人の運子は自分のより汚い、ゴキブリは悪だ、
これらは習慣化された条件づけ的反応である。
狂った夢の中で下される思考の判断は有罪か無罪か、
要するに、その二つだけである。
そして、これらの夢を、寝ている時に見る夢と同じ、
全く意味がないもの、として信じないことが、
ここ最近の僕の赦しとなっている。
その夢のストーリの中で、しばしば起こる、
罪悪の浄化作用が〝爆発〟である。
夢の出来事に、突然ブチッ、と来て爆発する。
実際、相手に怒りをぶちまけることもあれば、
心の中だけでギンギンにぶち切れることもある。
夏至の日が関係しているかどうかは定かではないが、
ここ最近、幾人かのコース仲間の間で、岡本太郎現象、
もとい、この爆発現象が頻発しているらしいのだ。
まあ、外面的な爆発は、人間関係に齟齬を生むし、
内面的な爆発も、妄想劇場が起きたりして苦しいものだ。
これがコース兄弟となると、赦そうとしてしまうので、
苦痛は倍増する。
爆発させてしまったことで夢を実在化させてしまった、
という罪悪感に襲われるからだ。
しかーし!ちょっと待ったーっ!
爆発させてなにが悪い、である。
爆発が起こらなくても、それは隠しているだけであり、
爆発によって、エゴがさらけ出されてきただけである。
エゴは、直視されれば消える、という性質を持つ。
もともとは〝無〟だからだ。
逆に言えば、見なければ無を確認できないということだ。
そのために〝爆発〟を使うのだ。
さらけ出すことによって、そんなものは無かった、と、
認識してゆくことができる。
赦そう、とか、平安を選択しよう、とかも必要ない。
それは得てして、ラクになりたい、の裏返しだったりする。
爆発後の毒素のような不快感をただ凝視するだけ。
3日間でも10日間でも見つめる。
不快感が消えるかどうか、も関係ない。
どうなるかは、聖霊兄貴に委ねる。
爆発は、ある意味、心の断捨離なのかもしれない。