昨日は、
新しいアパートの大家さんと、部屋の引き継ぎをした。
三宝不動産のトンさんと、新しいアパートへ向かえば、
部屋は新しく漆喰が塗られ、きれいに清掃されていた。
聞けば、大家さんが、
昨夜遅くまで掃除をしてくれていたのだという。
大家さんは40歳くらいの、穏やかな感じのご夫婦で、
子供はいないらしい。
「この部屋でハッピーな事がたくさんありますように。」
と言って、大家さんの奥さんから鍵を手渡された。
その瞬間、
何とも言えない幸せな気持ちが込み上げてきた。
素敵な大家さんに出逢えて、本当に幸せ!
この幸せな気持ちを経由して、神の悦びに繋がってゆく。
小さな喜びをきっかけにして、ハートに入ってゆくのだ。
そういう意味で、小さな喜びはハートの入り口でもある。
また、罪悪感でさえも、神の悦びだったことに気づく。
要するに、僕たちはすでにハート感じまくりなのに、
解釈を間違っているが故にヘンなことになっているのだ。
兄弟が成す行ないにイラッとくるとき、
一瞬立ち止まり、解釈が間違っていたことを認識した後、
ただ沈黙して、神の想いを待つ。
ハートを自分に取り込もうとせず、ただ待つ。
大家さんが去った後、色々と買い物に出かけた。
ウォークインクローゼットに入れる、
キャスター付きのハンガーラックをあちこち探しまわった。
ああゆうのって、どこに売っているか分からない。
何軒もホームセンターを回ってやっと見つけた。
というわけで、明日は引越しである。
新しいアパートは、コーズワイベイのど真ん中、
日本で言えば渋谷のど真ん中にあるようなものなので、
これからは、どんどん人を部屋に招待して、
小さなサロンのようにしたいと思う。
大家さんが言ってくれたように、
楽しいことがたくさん起こる部屋にするのだ。
買物をして、アパートに戻ってきた
毎日挨拶する守衛のおじさん、
毎朝、朝食を買う、おむすび屋のおばさん、
毎晩、壁を伝って遊びに来るヤモリの親子、
隣の家の父親が、宿題をしない娘を叱る声、など、
これまで見過ごしてきたような小さな風景が、
今日が最後だと思うと、とても感慨深く感じられる。
多分、永遠に父が待つ故郷へ旅立つその直前にも、
同じような感慨が湧き上がってくるのかもしれない。
でもその時の自分(自分がまだあるとすれば)は、
自分一人が旅立つのではないと知っているはずだ。
ひとつになったみんなで一緒に戻ってゆく。