香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

君は僕だ!

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⇑ 一階が質屋、二階と三階はカフェになっている。

 

僕が心の中を赦すとき、

 

瞑想するように心の内側を見つめてゆくのではなく、

 

外界に投影されている映像に対して、

 

そこから受けるイメージを赦してゆく。

 

 

わざわざ目を閉じて、心の中を覗かなくても、

 

無意識の罪悪感は、全て外界へ投影されており、

 

少しも隠蔽などできていなかったことに気づけば、

 

世界まるごと自分の心の中だったと分かる。

 

まあ、せっかく、さらけ出してくれているので、

 

見えているものを直接赦していった方が、

 

僕の場合(←ここ重要)解りやすいし、手っ取り早い。

 

 

例えば、

 

いつも誰かの悪口を言っているあの同僚や、

 

ちょっとおっちょこちょいなこの友人、或いは、

 

バスを待つ列に横入りしてくるおばさん、など、

 

全て自分の心の一側面として捉えられるし、

 

自分の部屋にいるときには、部屋全体が、

 

自分の心の中の風景として見えている。

 

なので、同僚や、友人や、見知らぬおばさんを赦すのは

 

自分の心の中を赦し、癒すのと同じことになる。

 

 

または、

 

誰かの一言に怒りが込み上げてきたり、

 

突然、大事なものを失くしたり、誰かに裏切られたり、

 

失業したり、病気になったり、と、

 

もし、自分をひどく動揺させるような何かが起こったら、

 

それらの出来事は、さっきまで天国で幸福だったのに、

 

一瞬でその平安が奪われ、動揺している、というふうに、

 

心の中で起きていることの象徴として知覚される。

 

 

そんなときは、

 

一旦、思考のブレーカーを落として立ち止まり、

 

自分の心の中そのものである外界を注視しながら、

 

決してそれは起こっておらず、故に、

 

目の前で展開されている風景など、

 

存在すらしていなかったことを静かに認識してゆく。

 

 

そこから、

 

ああ、世界は本当に無かったんだ、という理解に至り、

 

あとは自動的にハートが上がってきて、

 

「ああ、ぜんぶ神だった!」となる。

 

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⇑ ジンと言えばタンカリー。
 

 

今日も、フィリピンのクラーク空港へ移動する際、

 

運転手があまりにノロノロ運転だったため、

 

空港に着いたのがフライトの40分前で、

 

その上、イミグレには長蛇の列ができていた。

 

各フィリピン人に要する出国審査の時間が長く、

 

列は一向に進まない。

 

そうして、フライト20分前にイミグレを抜けると、

 

今度は、セキュリティのエックス線検査エリアでも、

 

大きな荷物をいくつも抱えたフィリピン人の団体が、

 

何やらモタモタやっている。

 

しかし、そんな僕の焦りとは裏腹に、

 

みんな結構、ワイワイガヤガヤ楽しそうだ。

 

 

いま、見えているものから受けるこのイメージこそが、

 

自分の心の中に抱いている信念であり、

 

これが赦すべきものなのだ、と自覚する。

 

 

フライトに間に合うかな、という焦燥も、イライラも、

 

フィリピンの人たちも、空港も、果てはこの自分でさえ

 

本当にあるかのように見えているけれど、本当は、

 

寝ている時に見る夢と同様、存在すらしていなかった。

 

 

そうやってしばらくすると、

 

本来自分をイラつかせるはずのシチュエーションや、

 

こっちの空気も読まず、騒いでいるフィリピンの人達が、

 

何だかとてもハッピーなものの象徴のように見え始め、

 

それから、あれよあれよという間に、

 

彼らは神になってしまった。

 

 

とまあ、こんな感じで、

 

外界で起きている事柄を見て、それはホントに無かった、

 

と、認識されてゆくことが、今の僕の赦しとなっている。