香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

法悦那覇

f:id:shusaku1:20190923003711j:plain

 

沖縄の那覇では、ハレ師匠や法悦女史のおかげで、

 

本当にすばらしい、至福の時間を過ごすことができた。

 

すでに〝神の理解〟が入っている僕たちなので、

 

特に、あーだこーだと真理について語り合うこともなく、

 

また、世界は本当に無かった、と解かっているため、

 

この世界の出来事について云々する必要もなかった。

 

それでいて、心の中には〝大好き〟が満ち溢れている。

 

f:id:shusaku1:20190923003723j:plain

 

海辺のカフェではもう、平安の極みだった。

 

海、風、波の音、潮の香り、珈琲の味、全てが愛だった。

 

そして、この景色は網膜だけで感知されていて、

 

この風も肌の表面だけで感じられていて、

 

この珈琲の味も、ただ舌の上だけで造りだされている、

 

バーチャルに過ぎない、しかし、

 

そのバーチャルから受け取る〝愛の感じ〟こそが、

 

ハート(天国の感じ)なのだ、とハレ師匠は言った。

 

 

また、沖縄料理店で夕食の料理を囲んでいたとき、

 

どんな内容だったかはもう忘れてしまったのだが、

 

ある事について、どう対処しよう、という想いが出てきた。

 

このとき、ハレ師匠が、ただ、神の愛でいること、それが、

 

いまここに在る、ということの真の意味だ、と言ったのが、

 

とても印象に残っている。

 

f:id:shusaku1:20190923003701j:plain

f:id:shusaku1:20190923003654j:plain

 

それから、

 

一回一回の赦しの中で、神の愛まで到達しなければ、

 

やはり赦しは完結しないのだな、と改めて確信した。

 

闇を光へと運ぶには、光を知っていなければならない。

 

闇しか知らない自分が、いくら、聖霊お願いしまーす、

 

とやってもダメなのだ。

 

 

なので、神は(神と同じものである兄弟は)、

 

愛でしかなく、絶対に自分を傷つけない、と、

 

空気のように知っている事が、光を知ることとなる。

 

f:id:shusaku1:20190923003641j:plain

 

というわけで、大阪の実家へ戻ってきた。

 

今回は、ゆっくり、年老いた両親に寄り添うつもり。

 

しかし、実家のある地域も、高齢で家主が次々亡くなり、

 

大きな一軒家が、不動産屋管理のマンションになったり、

 

駐車場になったりして、子供の姿もめったに見かけない。

 

僕も、両親亡き後この家に戻ってくるかと言えば疑問だ。

 

 

ああ、いまのうちに、貯金しよ。(⇚ おーい!)

 

 ⇓ この時からたった7ヶ月で神を智るなんて… ⇓

blog.hoshitani-shusaku.com

 

blog.hoshitani-shusaku.com