沖縄の那覇では、ハレ師匠や法悦女史のおかげで、
本当にすばらしい、至福の時間を過ごすことができた。
すでに〝神の理解〟が入っている僕たちなので、
特に、あーだこーだと真理について語り合うこともなく、
また、世界は本当に無かった、と解かっているため、
この世界の出来事について云々する必要もなかった。
それでいて、心の中には〝大好き〟が満ち溢れている。
海辺のカフェではもう、平安の極みだった。
海、風、波の音、潮の香り、珈琲の味、全てが愛だった。
そして、この景色は網膜だけで感知されていて、
この風も肌の表面だけで感じられていて、
この珈琲の味も、ただ舌の上だけで造りだされている、
バーチャルに過ぎない、しかし、
そのバーチャルから受け取る〝愛の感じ〟こそが、
ハート(天国の感じ)なのだ、とハレ師匠は言った。
また、沖縄料理店で夕食の料理を囲んでいたとき、
どんな内容だったかはもう忘れてしまったのだが、
ある事について、どう対処しよう、という想いが出てきた。
このとき、ハレ師匠が、ただ、神の愛でいること、それが、
いまここに在る、ということの真の意味だ、と言ったのが、
とても印象に残っている。
それから、
一回一回の赦しの中で、神の愛まで到達しなければ、
やはり赦しは完結しないのだな、と改めて確信した。
闇を光へと運ぶには、光を知っていなければならない。
闇しか知らない自分が、いくら、聖霊お願いしまーす、
とやってもダメなのだ。
なので、神は(神と同じものである兄弟は)、
愛でしかなく、絶対に自分を傷つけない、と、
空気のように知っている事が、光を知ることとなる。
というわけで、大阪の実家へ戻ってきた。
今回は、ゆっくり、年老いた両親に寄り添うつもり。
しかし、実家のある地域も、高齢で家主が次々亡くなり、
大きな一軒家が、不動産屋管理のマンションになったり、
駐車場になったりして、子供の姿もめったに見かけない。
僕も、両親亡き後この家に戻ってくるかと言えば疑問だ。
ああ、いまのうちに、貯金しよ。(⇚ おーい!)
⇓ この時からたった7ヶ月で神を智るなんて… ⇓