香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

わたしは愛でできている

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常に神を感じるようになっても、やはり赦しはやってくる。

 

赦しのプロセスは他の学習者の方とほぼ同じだ、と思う。

 

咎めや批判や罪悪の思考が出てきたことを認識したら、

 

即座に立ち止まり、エゴの思考体系を見つめたあと、

 

一つの解釈(神から分離したという思い込み)に気づき、

 

すぐに、それは無かった、と夢を否定する。

 

ただ僕の場合、少し違う点があるとすれば、

 

最後は必ず神を想い出し、神に至って完了する。

 

神に至るとは、愛で心が満たされる、という意味である。

 

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今日、仕事帰りにスーパーで買い物をして、

 

レジで並んでいると、ひとつ前にいたおばさんが、

 

カート三台に商品を山積みにして並んでいた。

 

レジは二つしかなく、このおばさんを回避するためか、

 

もうひとつのレジには長蛇の列が…。

 

1000香港ドル以上の買い物をすると宅配が無料になる

 

らしく、叔母さんは配送の伝票に住所を書き込んでいる。

 

おまけに大量の商品券を使用し、レジの係員が、

 

商品券番号を一枚一枚機械に打ち込んでいる。

 

 

このとき、僕はなぜか心の中で、

 

僕は愛でできている、兄弟も愛で創られている、

 

僕は神でできている、兄弟も神で創られている、

 

と、かなり強い意志を持って宣言した。

 

途端、どわぁーっ、と涙が溢れ出した。

 

 

神の子が見る世界は神の愛に満たされており、

 

自分は架空の自我に愚弄されるような存在ではない、

 

という確たる信念に凌駕される。

 

ヤバい、と思い、僕はとっさにハンドタオルで鼻を押さえ、

 

「ちょっと風邪気味で、鼻ぐちゅぐちゅですねん。」

 

という振りをした。

 

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そんな感じで、神を感じれば感じるほど、

 

それでも、時々、ふっ、と頭の中に湧き上がる、

 

自我の思考(妄想劇場)にとても敏感になる。

 

神の愛が根底に流れている状態が当り前になってくると

 

ほんの少しの咎めも違和感に感じ、即、自我だと気づく。

 

なので、神が入り、ハートのエクスタシーを感じていても、

 

お花畑状態になるわけではない。

 

それどころか、夢の外から眺めるようになるので、

 

幻想の自分が夢の中で何をやっているのかが、

 

より鮮明に見えてくる。

 

 

やはり、愛(神)を自覚せずに平安には至れず、

 

神の平安なくして赦しは完結しない、と、

 

しみじみ感じる今日この頃である。