⇑ 陸橋の上から決死の撮影
夜から抗議デモが一層過激化するという情報を受け、
先週金曜日は、定時より少し早めに退勤した。
会社から出てみると、案の定、
香港島へ抜ける海底トンネルはすでに閉鎖され、
通りの商店も、軒並みシャッターを下ろしていた。
地下鉄を乗り継ぎ、なんとか家まで戻っては来れたが、
会社を出るのが、あと10分遅かったら、
地下鉄も不通となり、家へも帰れなくなるところだった。
⇑ 消火栓の上によじ登って決死の撮影。
(10月4日午後9時ごろ そごう前の様子)
風景が霞がかっているのは火災が起きているから。
香港政府は今日、
立法会を通さず、月蛾(げつが)が独断で決定できる
緊急条例を適用し、マスク禁止令を制定した。
違反した者は禁固一年、本日零時から施行される。
たとえ議会にかけても、議員が皆、親中派であるため、
中国政府に有利な法案なら、どんなものでもすぐに通る。
これで、抗議活動をする市民は今後、
警察の催涙弾から身を守る術を失くすことになる。
また、先日、警官に銃で撃たれた高校生が、今日、
暴動罪で検察に起訴されてしまった。
これら一連の政府のやり方が多くの市民の反感を買い、
今後の抗議活動にいっそうの拍車をかける結果となった。
オマケに香港は今日から重陽節の祝日で三連休となるため、
抗議活動はさらに過激化する見込みだ。
そうこうしているうち、僕のトレーナーから、
明日のトレーニングは中止しますというラインが入った。
僕はまた、今週も家でお籠りとなりそうである。
⇑ 焼け焦げたコーズウェイベイの地下鉄の入り口
まだ煙が出ている入り口も…。
帰宅後、買ってきたサーモンサラダを食べながら、
香港電視台のニュースチャンネルを見ていると、
僕が住むアパート前の様子が映し出された。
ものすごい数の抗議者が集結し、
地下鉄の入り口や改札に火を点けて燃やしたり、
ホアウェイや中国銀行など、大陸系企業の商店や、
先日デモに参加した店員をクビにした吉野家など、
様々な商店にシャッターをこじ開けて押し入り、
店内をめちゃめちゃに破壊したりしている。
地下鉄が攻撃されるのも、鉄道会社が事実上、
中国の傘下になってしまったのが原因だ。
近所で火事があったら見に行きたくなるのと同じ心理で、
いてもたってもいられなくなった僕は、スマホ片手に、
保安のおっちゃんの制止を振り切って、通りへ出た。
辺りには焦げ臭い匂が漂い、白い煙が立ち込めていた。
コーズウェイベイの地下鉄の入り口が燃えている。
中国系商店の店内を、抗議者がガンガン破壊してゆく。
仲間が傘の壁を作り、カメラに映らないようにしている。
僕が見た限り、今回は、一部の活動家だけではなく、
普通の香港の人たちが大勢デモに参加している。
抗議活動は香港中に分散して行われており、多分、
100万人くらいの人が連休の間に参加すると思われる。
僕が歩道橋の上から人々の様子を眺めていると、
遠くに機動隊の一団がやって来るのが見えた。
それまでは僕と同じように、歩道橋の上から、ただ、
野次馬を決め込んでいるだけだと思っていた人達が、
「警察が来たぞーっ、みんな早く逃げろーっ!」
と一斉に大声で、通りの抗議者に叫びはじめた。
警官隊はダダダーっと歩道橋の上まで上ってくるなり、
早く降りろ、と、僕たちに言った。
それで、階段を下りると、今度は下にいた機動隊から、
降りて来るな、と言われたので再度上ってゆけば、
なんで戻ってくるんだ、と激しい口調で怒鳴られた。
仕方なく、階段の踊り場のようなところで待機していたら、
誘導するから付いてきなさい、と機動隊に言われ、
それでようやく地上に下りることができた。
⇑ さっきまで上に見えている丸い歩道橋の上にいた
もう帰ろうと家路を辿り始めた時いきなり目が痛くなった。
催涙弾の煙りが風に乗って運ばれてきたのだ。
涙が止まらなくなり、目を開けていられない。
やっとのことでアパートに着くと、
すすけてよれよれになった僕を見た保安のおっちゃんが、
呆れたように首を振りながら、
エレベーターのボタンを押してくれた。
そして家に着くなり、ソッコー風呂へと直行した。
⇑ デモ隊に埋め尽くされ、
身動きができなくなってしまったバス車両。
客を下ろした後、運転手が途方に暮れている。
なんだか、夢を見ているみたい。
巨大な舞台装置の中で、大量のエキストラを動員して、
一大スペクタクル映画の撮影を見ているような感じ…。
あまりに現実離れしたことが目の前で展開されると、
却って世界はウソっぽく見えてしまう。
つい先週まで、沖縄で海を見ながら、
ぷはーっ、てやってたのがウソみたいだ。
⇑ 一軒だけ、ド根性で店を開け続ける商店を発見
ああ、そうか。
これは、自分の映画なのだ。
自分がすることは、この映画をただ赦すこと、
この世界を、物理的にではなく精神的に捨てることだ。
兄弟たちが目の前で何をしていようとも、
やっぱり僕たちは愛そのものであり、愛でできている。
神によって創られた永遠なる存在だ。
と、こんな感じで、
僕の心の中の象徴を行動化してくれている兄弟たちを、
神に返し続けた一日はこうして幕を閉じたのであった。