香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

裁きの日

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珠海の出張から戻って以来、

 

ずっと、Jの励ましを受け続けている。

 

それは、サポートでもなければ、導きでもない。

 

僕らと全く同じ目線に立つ、兄貴からの優しい眼差しだ。

 

 

そして、珠海での出来事で、

 

人から裁かれることがこんなに苦しいものなのか

 

と悟った僕は、もう、金輪際、絶対に、

 

兄弟のどんな些細な部分も裁くまい、と心に誓った。

 

 

僕らは絶えず裁いている。

 

性別、肌の色、宗教、国籍、職業、住む場所、婚姻、

 

しぐさ、声、趣味嗜好、服装、体つき、または、

 

あの人から言われた一言、理不尽な振る舞い、果ては、

 

自分と違う理論を学ぶ他のコース学習者を裁くことも…。

 

しかも、なぜか不思議なことに、

 

本人は裁いていることにさえ気づいておらず、

 

自分は裁く方ではなく、常に裁かれる側だと思っている。

 

 

よって、今回珠海で僕が経験したと思っている投影は、

 

自分が裁いた者から裁かれている事に気づかせてくれた。

 

 

また僕が、裁くことを心から放棄しようと思えたのは、

 

いつもここに在り、一度も離れたことのない父の愛を、

 

自分の中に感じられるようになっていたからだと言える。

 

 

誤解を避けるために述べるならば、

 

裁かないことで、父に繋がることができるのではない。

 

先に、自分の中に在る父の存在を思い出したからこそ、

 

兄弟を裁くことを止めよう、と本気で思えるのだ。

 

そういう意味で常に〝神が先手〟でなければならない。

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

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そんな感じで、裁かずに一瞬一瞬を過ごした。

 

だが、今日は午後から、月イチの部門長会議なのだ。

 

そう、僕が最も恐怖でびゅんびゅんする、アレだ。

 

 

毎瞬、毎瞬、赦した。

 

兄弟は裁かれるようなことなど何もしていないし、

 

それは僕も同じだ。

 

こんな事を言ったり、あんな事をしているからと言って、

 

それがどうしたというのだ。

 

全く裁くに値しない。

 

彼らは、そして、自分も、愛に値する。

 

 

まあ、そんな鼻息の荒い僕の心とは裏腹に、

 

会議はいつも通りに何事もなく終わり、

 

僕の〝エアびゅんびゅん〟も過ぎ去ったのであった。