⇑ リビングの窓から競馬を観戦する。
「あなたは私で、私はあなた、全てひとつなんです。」と、
いろんなスピリチュアルで定番のように語られているが、
僕が日頃感じている、私はあなた、の感覚を、
自分で理解する為にも、頑張って書いてみたいと思う。
私が他者を見る時、当然相手は肉体として見えている。
それらの肉体は、男であったり、女であったり、
子供であったり、老人であったり、美女であったり、
痩せていたり、太っていたり、禿げていたり、
皮膚の色が黒かったり、白かったり、して、
どれひとつとして同じ肉体はない。
また、自分が他人と会話をするとき、
相手のことを、どこどこの誰々さん、として見ている。
その誰々さんは、夫であったり、妻であったり、
看護師であったり、警察官であったり、店員であったり、
気難しかったり、温厚だったり、攻撃的だったり、と、
誰一人として同じキャラの人はいない。
そんな、何から何まで同じではない兄弟たちが、
一体どんな感じで〝同じ〟に見えているのかと言うと、
僕の場合、例えば、仕事中に、男だったり、女だったり、
威圧的だったり、穏やかだったり、几帳面だたり、
というキャラを持った様々な人に対峙した際、
表面的には全然異なるそれぞれの人の奥に、
不変で、穏やかで、優しい、愛の〝性質〟が見える。
それは、とても言葉では表現できない聖なる感覚で、
全ての人に共通して同じである。
⇑ 最近、ジンオレンジにハマっている。
タンカリージン+みかん+トニックウォーター
トニックは3kcalのダイエットトニックを使用。
みかんはちゃんと絞り器で絞るのだ。
普段、肉体の兄弟が見せる強烈パフォーマンスを見て、
裁きたくなる想いに気づいて取り下げ、
頭で考える、から、心で考える(ハートで感じる)へ、と、
思考を逆転させ、やがて見えてくる、
愛/神/善の光に焦点を合わせ続けていると、
表面で何かしている誰々さんは完全な〝マヤカシ〟で、
その奥にある〝聖なる感じ〟こそが、
誰々さんの本質だった、という風に感覚化されてくる。
と同時に、その〝神がいる〟感じは、
全ての人に共通して同一であるため、結果、
AさんとBさんの間に何ら違いが無いと思えてくるのだ。
〝神が在る(愛が在る)〟の感覚が更に進むと、
誰々さんだけではなく、世界全体が同じものに見え、
全てが〝ひとつの神の理解〟の中に収斂されてゆく。
僕もまだまだ、ムラがあり、どんな状況に於いても、
兄弟が同じに見えるわけではないけれど、
兄弟に差を見なくなってくると、これが不思議なのだが、
様々なキャラを持った肉体としての兄弟たちが消える。
AさんやBさんが見えているのにAさんもBさんもいない。
彼らが互いに入れ替わっても、
何ら差しつかえないように思えてくるのだ。
また、誰かと会話をしていても、
まるで自分と話している様な感覚になる。
というわけで話は変わり、今、前世の自分を赦している。
でも、眠くなってきたので、この話はまた明日…。
おやすみなさい。