香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

幸せから学ぶ

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ごくごく稀に、ではあるが…、

 

赦すべき葛藤がない、という学習者の方がいる。

 

 

例えば、

 

数年前に、東京でお会いした、ある主婦の方は、

 

大好きな絵本の仕事をマイペースでやり、旦那は優しく、

 

経済的にも恵まれ、子供はわんぱくで可愛い。

 

それに、両親が子育てを全力でサポートしてくれるし、

 

何でも話せる、気の合うスピ仲間も何人かいて、

 

毎日が、感謝と共に、楽しくにぎやかに過ぎてゆく。

 

時には、はあ?というようなことが起こったりもするが、

 

それこそ、こういう問題にはワークブックのここ、とか、

 

それでもダメなときは、あの先生、というふうに、

 

きちっきちっと、ガイドラインに沿ってクリアにされてゆく。

 

 

彼女と話していて、

 

最初はただ本心を隠蔽しているだけなのか、はたまた、

 

完全に〝お花畑〟の人なのか、と思ったりしたが、

 

話をしていても、そのような感じは全くない。

 

普通に幸せに満ちた人生を送っておられる様子だ。

 

 

まあ、本人の心の中が実際どうなっているかは、

 

本人にしか分らないので何とも言えないのだが、

 

「赦す事柄もないのに、何でコースなんだろう??」

 

と、当時〝死ねばいいのに〟真っ最中であった僕は、

 

つくづく不思議に、かつ、羨ましく思ったものであった。

 

だって、自分にとって、

 

こんなに居心地のよい世界なのであれば、

 

わざわざ脱出する必要なんかないじゃん、って…。

 

 

でも、神の愛が入っている今なら解かるのだ。

 

神が在る感覚は出来事や状況とは一切関係がない。

 

たとえ、赦すべき葛藤がなくても、

 

そこに神がいなければ欠乏感しかないし、

 

逆に、いま、どんなに不幸な状況に陥っていたとしても、

 

神を観じていれば、そこには真の平安が満ちている。

 

 

それに、彼女は、

 

たまたま今回の生で恵まれたタイムラインにいるだけで、

 

次は、寺内貫太郎一家の長女に生まれ(風吹ジュン)、

 

藤竜也と駆け落ちする人生かも知れない。(←昭和や!)

 

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なので今回、

 

たまたま恵まれた状況にいる人の赦し、というのは、

 

その幸せな日常の中で感じる感謝や歓びの気持ちが、

 

素敵な夫や、かわいい子供や、楽しいイベントといった、

 

〝見えているもの〟から来ているのではなく、

 

それらの奥に流れている〝神の想い〟から来ている

 

ことに気づくこと、これが幸せな赦し、となる。

 

 

別の言い方をすれば、ある人や出来事から、

 

大好き、ありがとう、優しい、感動、ラッキー、安らぐぅ-、

 

といった感覚を覚えた時、それは神だ、と気づく。

 

これこそが、幸せな赦しなんだと気づくということである。

 

そうなのだ。幸せ真っ最中な人にも、赦しはあるのだ。

 

それは、幸せの感覚は神の歓びだと気づくことであり、

 

そこから、神の理解へと入ってゆくことだ。

 

 

そして、思う。

 

僕もここまで様々な赦しを実践して来て、

 

ようやく、神の反映として兄弟を観れるようにり、

 

世界が劇的に優しくなった。

 

まあ、そうでない時もあるが、それでも、世界はない、

 

ということを思い出せばとても安らかな気持ちになれるし

 

やっぱり、兄弟は聖なる存在だった、と解かる。

 

もしこれが、初めから〝いい感じ〟のみの関係だったら、

 

全く神に気づけなかったと思うのだ。

 

そういう意味で、僕の夢の中で、ある時は優しく、

 

ある時は強烈なパフォーマンスを見せてくれる

 

兄弟たちは、毎分毎秒、

 

僕に救済のチャンスを差出してくれていると言えるし、

 

赦すべき何かが現れるからこそ、

 

神は在る、を認識できる、とも言える。