香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

父を食べる

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⇑ 日曜日なのに、地下鉄もガラガラ!

 

もう、20年くらい前の話になるが、

 

当時、駐在していた、今とは違う会社の香港支店で、

 

会社案内のパンフレットを作成しようという企画があり、

 

香港にある日系の広告代理店を訪ねたことがあった。

 

その時、担当となった女性(30代/日本人/上戸彩系)が

 

とてもスリムなのに、ものすごい大食いなのであった。

 

 

一度、ホテルのケーキビュッフェをご一緒したのだが、

 

多分、出ていたケーキの半分くらいは、

 

彼女が食べたのではないかと思うくらいの大食いだった。

 

しかも、ただ食べるのではなく、盛り付けに気を遣い、

 

それはそれは美味しそうに、じっくり味わって食べる。

 

実際、ケーキビュッフェから、夜のビュッフェになっても、

 

彼女はまだまだ普通に食べ続けていた。

 

 

そんな彼女の幸せそうな表情を見ながら、当時の僕は、

 

「なんで、そんなに食べても太らないんですか。」と、

 

おそらく、過去に何百人の人から訊かれたであろう、

 

ベタな質問をした。

 

体質的なものもあると思うんですけど、と前置きした後

 

「わたし、食べ物を絶対に憎まないんです。」

 

と彼女は言った。

 

 

「若い女性とか、普段、レストランで料理を選ぶとき、

 

 この料理は大好きなんだけど身体に悪い、とか、

 

 ご飯は美味しいけど炭水化物だから太る、とか、

 

 これはカロリーが高いから、あっちにしよう、とか、

 

 これは私の嫌いな食材が入ってるからだめ、とか、

 

 食べ物を嫌いながら選んでるじゃないですか。

 

 私にはそういった〝罪悪感〟が一切ないんです。」

 

 

また、彼女はこうも言った。

 

「太るのは気にせず、好きなものを好きなだけ食べる、

 

 というポリシーの人もいるじゃないですか。

 

 そういう人も、

 

 どこかで食べ物を憎みながら食べているんです。

 

 心の中のうしろめたさを避けるために食べていると、

 

 たとえ好きなものを美味しく食べていても太るんです。

 

 太っている人は、食べ物に復讐されているんですよ。」

 

 

キッパリ!お見事!

 

と今なら拍手するくらい、彼女は断言していた。

 

いま、あの時の会話を改めて思い起こしてみると、

 

僕たちは、多かれ少なかれ、いろんな場所で、

 

食べ物をも裁きながら食べている、と解かる。

 

 

なんでこんな昔のことを思い出したかというと、

 

先日、ジムのトレーナーから、

 

最近痩せてきたので、今後はもっと糖質を摂りましょう、

 

と言われた際、そんなに糖質を摂ったら太るのでは、

 

という想いが出てきたのがきっかけだった。

 

別に、

 

ダイエットのために食べ物を制限することが裁くことだ、

 

と言っているのではなく、もっとその元となっているもの、

 

神を裁いた恐怖の代替として食物を裁いていることに

 

気づいたのだ。

 

神を恐れながら、大好きな神を食べている。

 

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 ⇑ ランドマークもガラッ、ガラ! 

 

好き嫌いの多い人、必要以上に食べる人、

 

レストランへ行ったとき、友人から、

 

私、これ要らないから食べて、と言われて断われない人、

 

逆に、自分の食べる料理を残すのが嫌で、

 

食べて、と他の人に押し付けようとする人、など、

 

ある意味、食べ物って、

 

肉体の生命維持に直結した欲望なだけに、

 

自我が出やすいのかもしれない。

 

 

別に、好き嫌いを失くせ、とか、ダイエットするな、

 

と言っているのではない。

 

その裏で使っている自我の概念に気づいていること、

 

これが決定的に大事となってくる。

 

 

今日、日曜日は、久々にトレーナーと筋トレをした。

 

やっぱり、ガンガン追い込んでくれる人がいるって、

 

一人でやるより成果も出てよい。

 

午後、セントラルのランドマークをぶらぶらする。

 

人、少なっ!

 

大陸の爆買い軍団がいない香港は閑散としている。

 

 

明日は会社、行けるかな?