金曜早朝のセブパシ便でフィリピン出張から戻ってきた。
フィリピンは一年中暑い、と思う人も多いがそうでもなく、
今だと、夜はカーディガンが必要なくらい涼しい。
僕に至っては、寝る時もクーラーを消して寝ているし、
日中も、摂氏23℃と、外出しても汗をかかない。
フィリピンに出張する時はいつも、
工場まで徒歩一分の場所にあるホテルに泊まる。
それで、このホテルのベッドがまた、とても寝心地がよく、
毎回、なぜかとても安らかな気持ちで熟睡できるのだ。
何て言うのだろう。
ふわっと身体が沈み込むようなマットレスに、
重くもなく軽くもない掛け布団、シーツもサラサラで、
たくさんある枕を組み合わせて高さを調節すれば、
ちょうどいい感じに頭の位置が来る。
で、最近では、お付き合いの夕食会も極力避け、
6時に工場を出ると、ホテルのラウンジで一人、
クラブサンドイッチとワインの夕食を済ませる。
そして、ソッコー部屋へ戻って、シャワーもそこそこに、
積み重ねた枕に上半身を沈めて、読書をしたり、
パソコンで動画を見たり、瞑想をしたりするのが、
唯一にして最大の楽しみになっている。
するとだいたい10時くらいには睡魔に襲われ、
そこから朝8時まで、快眠爆睡となる。
眠りに落ちるまでの間、
ぽかぽかと全身を包み込むようなシーツの温かさや、
宙に浮いたようなマットレスのフワフワ感、そして、
深く沈み込んでいくような枕の心地よさなどが相まって、
自分は今、安全な場所で快適に護られている、という、
穏やかな多幸感の中にたゆたっていると、
ああ、この言葉では形容できない平安な感覚こそが、
神の想い(神の声)そのものなのだ、と気づいた。
この〝心地よい幸せで平安な感じ〟はまた、
ベッドでまどろんでいる時だけに起こっているのではなく
病気であっても、人間関係で悩んでいる最中であっても、
解決すべきトラブルにちょちょ舞っている時であっても、
常に根底に流れていて、変化するということがない。
僕は、たまたまフィリピンのホテルのベッド、だったが、
其々の場面で、こういう心地よい平安な感じを感じる時、
これが神の感触なのだと気づくこと、そして、
自分を動揺させる事が起きているように思える時でも、
常に、この神の平安の流れに気づいていて、
その言葉では説明できない感覚こそが実存である、と、
思い出していることが決定的に重要である。
そうなのだ。
僕達は、この平安から一度も離れたことがないばかりか
いまもずっと、そして永遠にこの平安の中にいるのだ。
VRゴーグルに映し出される映像に反応したときは、
即座にそれは実存ではない、と赦して沈黙したら、
この〝天国の感じ〟をただ受け入れる。
というわけで、今日は土曜日、散髪に行って来た。
また、あのゼロフェードカットにしてもらった。
この髪型、分け目にぶっとい剃り込みを入れる。
指にハードジェルをつけてサーッとやるだけでいいので、
結構気に入っている。