昨日、日曜日は、
昼過ぎに、トレーナーと筋トレをするために、
セントラルへ行った以外は、家でウダウダと過ごした。
夜、2週間程前に買った真空パックの鶏の胸肉が、
冷蔵庫の中にあったので、焼いて食べようと、
真空パックを開けてみたら、硫黄の匂いがプンときた。
それでも見た目は普通だし、他に食料はないし、
よく焼けば大丈夫かな、と思ったが、やっぱり捨てた。
こうやって、一日中、家で一人、お籠りをしていると、
外界への反応に対する赦しが起こらない代わりに、
突然、ふっ、と上がってくる、様々な想いが去来し、
それを赦してゆく〝ハメ〟になる。(笑)
昔、
自分の発言が、大きな誤解を招いてしまった時のことや、
旅行先のホテルで、不当な扱いを受けた時のこと、
また、なぜか自分が一番の悪者にされてしまったことや
責任を他人に押し付けてホッとした、といったような、
普段は忘れている〝いま〟とは全く関係の無い
過去のでっち上げ劇場が次々に押し寄せてくる。
また、自分はこれでいいのだろうか、とか、
今とはもっと違う人生があるのではないだろうか、とか、
明日は、これやって、それやって、あれをああやって、と、
漠然とした未来に対するアレコレもやってくる。
これらの思いは実存ではなく、ただの妄想で、
ただ消えてゆく姿として見過ごすだけだ、と、
分かってはいても、なんせ次々にやってくるので、
だんだんウザくなってくるのだ。
そのとき、思った。
専業主婦の方や、就活中の方や、定年された方、など、
基本家にいる環境の方ってこんな感じなのかな、と…。
僕は毎日仕事へ行き、スピとは全く関係のない、
実社会の中で生きているので、当然、赦しも、
その時々に接する不特定多数の兄弟達からやってくる。
しかし、人間関係が固定された環境での赦しというのは、
投影先が自分、もしくは、特定の人物に限定されるため、
ずっと自分の心の中と向き合っていなければならず、
ある意味、逃げ場がない。
これまで、ずっと家にいられる環境の人って、
なんて、恵まれていて幸せなのだろう、と思っていたが、
案外、赦しにおいては同じなのかもしれない。
まあ、どちらにせよ、
初めから赦しのスタンスでいることで、
問題を、真の問題がある意識の場所まで戻し、
そこから聖霊に訂正してもらう。
とまあ、そんな感じで、
最近は、聖霊兄貴に訊くことが多い。
だが、神の想念を感じることも大切にしている。
僕が完全に聖霊と一体になり、
神だけを100%感じていられるようになれば、
神を感じていれば自動的に赦しは起こるのだろうが、
まだまだ、僕も発展途上なのである。
ただ、赦せば赦すほど、この世界はリアルではなく、
神の実在だけを感じることができるのを知っているので、
どんな赦しでも、凛と恐れず、
真正面から〝直視〟することができるようにはなった。
というわけで、
今週を乗り切れば、来週はクリスマス休暇だ。
今回の休暇は、一旦実践はお休みして、
じっくり、コースを〝学ぼう〟と思っている。
それに寒くなりそうだし…。