香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

肉と霊

 

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僕の場合、赦しと神の実存は常に連結している。

 

赦せば赦すほど、神だけが実存だと実感できてくるし、

 

やがて、神と霊を選択すること自体が赦しとなってくる。

 

 

また、あらゆる場面で、神の実存しか選択しない、

 

実存しないものを信じない、を赦しの中で適用している。

 

神だけが実存で、それ以外の全てが実在でないのなら、

 

眼前で色んなことをしているように見える友人や同僚も、

 

また、大切な存在だと思っているパートナーや家族も、

 

全て実在ではなく〝赦しにおいて〟さえ実在させない。

 

 

その代わり、神だけを実在として選択したなら、

 

兄弟たちを、家族や友人として実在させるのではなく、

 

霊(スピリット)として実在させる。

 

 

目の前でどんな人が何をしていようと、

 

実在しないものの一切を、例外なく、信じない。

 

例外なくというのが肝心で、そこには一切の妥協はない。

 

わたしの大切なナンチャラ、なんていうのもあり得ない。

 

そもそも、わたし、というもの自体が実在ではない。

 

 

と、このようなことを、

 

様々なスピ本やスピ映像の中で語らているのを、

 

何百回と、見たり、聞いたり、読んだりしてきたが、

 

いま、ようやく、その中を生き始めている。

 

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まあ、以前から何度も書いている通り、いま、僕にとって、

 

唯一にして最大の赦しどころとなっているのが、

 

あの元コンババ部長なのだが、絶対彼を完全に赦しきる

 

と決めて、毎日逃げることなく真正面から対峙することで

 

(※といっても、香港と東京で直に会うことはないのだが、

 

    毎日10回は、あれやこれやと電話で話をする。)

 

これは本当の彼ではない、という知覚が芽生え、

 

僕の前方にいる肉体の彼は実存ではなく、

 

僕の背後に神とともに在る霊としての彼こそが実存だ、

 

という真の理解が自動的に起こってくる。

 

 

もう、霊としての彼しか認知しない、と決める。

 

彼を霊としてしか認知しないことを選択すると、

 

それがそのまま、自分を霊として認知したことになり、

 

やがて、互いは同じひとつの霊として認識されてくる。

 

そしてこれが僕にとって神の実存を選択することとなる。

 

だが、本当に神の実存のみを選び、

 

彼を霊(スピリット)としてしか認知しないと決めると、

 

友達の振りをしなくなった自我が、以前にも増して、

 

リアルで強力なパフォーマンスを彼を通して見せ始める。

 

それでも、これは夢で本当ではない、と、

 

聖霊に教えてもらいながら赦し続けているうち、

 

眼前で何が起こっていても、気にならなくなってきた。

 

以前は、家に帰っても、モヤモヤ思い出していたのに、

 

過ぎ去った夢のように、何にも思い出さない。

 

 

僕は〝独り身〟なので、比較的容易に神だけを選択し、

 

それ以外の全てを手放すことができる分、

 

今回は本当に決めて来たのだな、と思う。

 

 

実在だけを選択したら、愛する家族やパートナーは、

 

霊(スピリット)となり、見えているビルや行き交う人達や、

 

 目の前で何かを言ったりしたりしている人影は、

 

幻影であるがゆえに、全く存在すらできていない。

 

 

今日はクリスマス。

 

Jを感じながら過ごす。