今日は、おみえさんと心斎橋で食事をした。
前回、おみえさんとデートしたのはいつだっただろう、と、
ブログ内を検索したところ、2014年の10月だった。
その後、2015年の2月にも会う約束をしていたが、
丁度、僕がお腹をこわしてキャンセルになっている。
そして今回、
大将の〝真心〟がこもったイタリアン料理は、
どれもこれもすっごく美味しかった。
👇 昔のオレ、顔パンパンやな 👇
久しぶりに会うおみえさんは、一段とスリムで美しく、
以前にも増してエレガントな女性になっていた。
なにより、会うたびに顔がちっちゃくなっている。
このままでいけば、
最後には、集合写真の隙間に写っている
心霊写真くらいの大きさになるのではないか。
たのしみー。(笑)
彼女は、もうコースをやっておらず、
数年前からIPSというネットワークビジネスを
やっていて、ものすごい売り上げを上げている。
かといって、ガツガツしたところは全くなく、
以前より穏やかで、楽しそうにしている。
人には人それぞれの説明できない好きがあり、
それを極めることで神につながってゆく。
会話も、僕がボケたら、ちゃんとツッコんでくれるので、
ああ、大阪にいるんだあ、と実感でき、とても楽しかった。
食事の間、香港のデモの話、中国のウイルスの話など
マスターを交えてカウンター越しに色々と話した。
こういう、コース兄弟ではない人と普通に会話をする時、
当然、そこにはいない誰々さんの話題も出れば、
この前こんなことがあってさあ、みたいな会話も出てくる。
そんなとき、
僕は、起きてくる想いに抵抗せず、出るに任せて話す。
こんなことを言ったら幻想を実在させていることになる、
とは思わない。ていうか、そう思う〝誰か〟はいない。
ただ、思考同士が立ち上がっているだけであり、
何を話そうが、そこには何の意味も思惑もない。
もし、僕が言った一言で何か出来事が起こったとしても、
それは、ただ起こっていること、であり、
そこには、出来事を起こしている〝私〟がいないので、
その思考が罪悪感にまで発展しない。
ただ、ひとつ、やっていることがあるとすれば、
何をしているときも、いまここにずっと在る、
神の歓びの感じ(幸せな感じ)には気づいている。
なぜなら、
神と、起こっていることとは何の関係もないからだ。
👆 この牛肉のタタキは圧巻。美味! 👆
とまあ、そんな感じで、赤ワインを二本空け、
家に戻った頃には、もうへべれけになっていた。
それで、バタンキューで寝て、さっき目が覚めたら、
今度は目が冴え、眠れなくなってしまった。
というわけで、今日も楽しかった。