👆英語、広東語、ベトナム語、語学のおさらい👆
今日は一日、部屋から一歩も出ずに過ごした。
食事は冷凍の餃子を焼いて食べた。
自分一人だけの部屋で、コーヒーを淹れて飲んだり、
小説のプロットを考えて過ごしたり、何を思ったのか、
留学時代のノートを引っ張り出し、語学の勉強をしたり、
自分が〝いい感じ〟になれることをして過ごすうち、
神の想いに繋がり、愛と感謝と悦びに凌駕された。
こんなとき、神はずっとここにいたことが知覚され、
思わず涙がこみあげてくる。
例えば、AKB48の楽曲 『サステナブル』 のMVを、
YOUTUBEで見ているだけで、号泣してしまう。
ただ、誤解を避けるために言うならば、
AKB48や、いい感じ自体が神なのではない。
AKB48やお気に入りのカフェでまったりすることは、
神に気づくための一種の〝呼び水〟であり、
その〝いい感じ〟がきっかけとなって、神だぁー、となる。
それは、テレビのリモコンでTBSのボタンを押した瞬間、
リモコンからTBSと同じ周波数の電波が出ることで、
テレビがTBSの周波数と共振し、
画面にTBSの番組が映るのと同じ原理である。
なので、リラックスしている時、好きな事をしている時、
心地よい空間にいる時、大好きな人といるとき、
僕たちは時間のない時間にいることになり、
いま、この瞬間に在る神に周波数が合っている。
👆 土曜午後の地下鉄。人、少なっ! 👆
じゃあ逆に、誰かから攻撃をされて落ち込んでいたり、
トラブル続きで、とてもいい感じになどなれない時は、
一体どうすればいいのか、というと、
それら〝嫌な感じ〟を通して〝いい感じ〟を知る。
どういうことかというと、
誰かから思い切り無視されたり、意地悪をされたとする。
そんな時、攻撃されているみじめな私、ぐすっ、ではなく、
攻撃されてこんなに嫌な感じになっているということは、
本当の自分は、優しさが欲しかったのだ、と知る。
攻撃されることが〝嫌な感じ〟だと知ることで、
優しさこそが〝いい感じ〟だったことを知るのだ。
また、金欠でピーピー言っていたとする。
そんな時、ボンビーでみじめな私、ピーピー、ではなく、
本当は金銭ではなく、豊かさを欲していたことに気づく。
お金がないことで、豊かさこそが神だと知るのだ。
ただ、知ったからと言って何か具体的に動く必要はない。
優しさや豊かさが神であり、それに気づいた時点で、
真の自己(神の中の自己)に気づいている。
真の自己は、行動や結果とは何の関係もないからだ。
それでも、ネガティブな状況から抜けられないのなら、
2、3日会社を休んででも、とことん落ち込めばいい。
そこから、本当は安らぎが欲しかった自分に気づき、
ハートへと回帰してゆけばよい。
こうやって、神の世界にいる時間を増やすことで、
神との関係を再構築してゆくのである。
なんだか、とっちらかってしまった。
おやすみなさい。