香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

下からまわって神へ行け!

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今日は、ネガティブから神に繋がれ、という話である。

 

 

例えば、

 

すっごく気の合わない、嫌な奴が職場にいるとする。

 

こちらが何か話しかけても、返事はつっけんどんで、

 

なぜか自分だけ誘われない、といったような、

 

表面では見えにくい、微妙な攻撃をしかけてくる。

 

しかも、職場を仕切っているようなオツボネでもあり、

 

逆らったら、ちょっとメンドーなことになる。

 

 

こんなとき、なんじゃコイツ、といった怒りや、

 

自分は何を悪いことをしたのだろう、という罪悪感や、

 

相手から不当な扱いを受けている悲しみ、

 

今日もまたあいつに何をされるのか、という恐怖、

 

などで、プライベートまで憂鬱一色になったりする。

 

 

これが、スピもコースも何もしていない人だったら、

 

おまえ、なんやねん、と、真っ向、直接対決をするか、

 

気の合う同僚に相談するか、占いに行くか、

 

カラオケにでも行って憂さを晴らしたりするのだろうが、

 

これがコース兄弟だったら、どうするかというと、

 

まずは赦す。

 

自分の中にあると思っている分離の想いを観て、

 

そこからくる罪悪感を、それは起こって無かった、として、

 

相手を愛に見れるよう、聖霊にお願いしたりする。

 

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しかし、経験済みの僕が保証する。

 

すでに、起こってしまった感情を赦すなんて不可能だ。

 

なぜなら、その時点で、すでに、

 

怒りや罪悪感を感じてしまっているし、

 

実際に、恐怖や憂鬱さを実存させている状況下で、

 

真に赦すなんて無理なのだ。

 

下手すると、自分をバシバシバッシングしてしまう。

 

 

そんなときは、逆から神に行け、である。

 

一旦、その憂鬱さや無力感をじっと見てみる。

 

布団を被り、とことん〝嫌な感じ〟を感じ切ってみる。

 

毒素が体内に広がるような気分の悪さの中、

 

こんなに苦しいのはなぜなのか、自分はどうしたいのか、

 

本当は何を望んでいるのか、を見つめ続けたとき、

 

本当は、その同僚と仲良くしたかったんだ、とか、

 

本当は、その同僚に認めてもらいたかったんだ、とか、

 

本当は、その同僚を好きになりたかったんだ、

 

というようなことが見えてくる。

 

 

そして、

 

その〝同僚〟という言葉を〝神〟に置き換えてみる。

 

本心では、神に認められ、愛されたかったのだと気づく。

 

すると、怒りや、恐怖や、悲しみだと思っていたものが、

 

実は、愛の想念だった、つまり神だった、となる。

 

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この例から何が言えるかというと、

 

実際的な赦しの一歩は、まず、自分を攻撃しないことだ。

 

なにがあっても、絶対に自分を責めない。

 

なぜなら、自分を責めていると思っているが、

 

実際には、神を責めているからである。

 

神を責めながら赦すことなんてできるわけがない。

 

 

たとえ、どんな怒りがこみあげてきても、

 

こいつ死ねばいいのに、と思ったとしても、また、

 

相手に向かってリアル攻撃をしてしまったとしても、

 

攻撃してしまった自分を決して責めてはならない。

 

「あーあ、やっちゃった、次からやめよ。」

 

くらいでオーケーである。

 

 

そのとき、その瞬間に

 

攻撃の思考がシュワシュワ湧いてきただけであり、

 

攻撃している自分なんて存在しない。

 

霊(スピリット)である真の自分とは何の関係もない。

 

 

要するに、嫌な感じ、は、神への愛の裏返しなのだ。

 

 

というわけで、人の多いラッシュを避ける、

 

という観点から、今日も11時出勤だった。

 

もちろん、仕事は普通にあるので、時短でも喜べない。

 

それでも、今の僕は、何かがあっても、無くても、

 

ただ在る、神に在る、だけなのですこぶるいい感じである。